ある夜のこと
ちいさなツバメがこの都まちに飛来してきました
ほかのツバメたちは、とっくの昔にはるか遠くのエジプトに渡ってしまったというのに、このツバメはここに残ったままなのです。だって、ツバメは、この世のものとは思われぬほど美しい、葦よしくさとの恋におちていたのですから
出会いは早春のころ。黄色い巨おおきな蝶々をおいかけて、ツバメが川辺に、空からすべり落ちてきたとき、葦よしくさのほっそりした腰つきを見ると、もういけません、ツバメはつばさを休めるや、葦よしくさに話しかけていました
「きみに恋していいかい?」 単刀直入がツバメの好むところ。葦よしくさは深いお辞儀で意を迎えました。ツバメは葦よしくさの周囲をなんどもなんども旋回し、つばさで川水をさっと切ると、銀のさざなみが広がります。これがツバメの求愛の礼で、それは夏のあいだ中、ずっと続きました
ツバメswallowというのは、欧州人の感覚では、秋になりヨオロッパが寒くなると、南のアフリカに渡る鳥、なのですね。こんなことは容易に文献にはでてこないのですけれど、E.H.Gombrich(1909-2001)というウィーンからロンドンに渡って活躍した美術史家は、さいわい、ちゃんとそう書いてくれています。「エジプトがどこにあるか知りたいかい? ならば、ツバメに訊いてみるんだね」と『こどもたちのための世界史』に書いています。なんて、詩的ですばらしい表現なのか知ら!
葦よしくさreedですけれど、これを日本語のすべての訳者は「あし」と名づけていますね。こいつら、みんな揃いもそろって、ばかぢゃないだろうか? ツバメの恋した絶世の美女に「悪あし」と言うのかい? ここは「良よし」でなければならんだろう! くらいの日本語の感覚もなくて、よくも文学者とか名乗れるねえ。恥をしれ!
葦reedですが、なぜこれが「女性」に擬人化されているのか? ここを、日本人は、よくよく考えてみるべきで、「頼りない」イメージがイギリスのみならずフランスにもあり、要は欧州的偏見があるので、パスカルのあの有名な言葉「人間は考える葦である」もあると見なければならん。…というのは、確かファーブル昆虫記の訳者、奥本大三郎先生がおっしゃっていた。しかし、そんなことに思いを致した痕跡はどの日本語訳者にもなさそうだなあ…。ざんねん
mothですが、逐語訳しか考えない日本語訳者はみなこれを「蛾が」と訳して平気。しかし欧州人どもは、虫などにはてんで関心などない連中であることを思えば(この教示も「虫屋」の奥本大三郎先生による)、蛾と蝶の区別もどうせやつらにはつかないのだから、律儀に訳せば却って日本語としては甚はなはだ拙まづいと考えるべきである。ここは日本語の感覚に沿って、私は「蝶ちょう」と訳すのが正解と思っている
嗤わらうべき逐語訳には a low bowを「低くお辞儀する」というのがあります。「低く」? 日本語では「深く」だろう! この逐語訳者の肩書は東大教授というのだから、もうどうしようもない…
silver ripples. キレイなイメージですね。ワイルドは、童話の中のいろいろな修辞で、silverを好んでいます
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