The Happy Prince(2)

「どうしておまえはそう強情なの。無憂の王子を見習いなさい」。賢母がだだをこねる幼な子をしかっています。「王子さまは、けっして駄々をこねるなんてこと、夢にも思わないのよ」

「このよのなかに、憂いというものをつゆ知らぬ人が実在していると知って、私は欣快きんかいに堪えない」と失意の男が彫像をみあげて、もごもご、つぶやいています

「ほんと、天使さまみたい」。そう言ったのは、慈善院のこどもたちです。大寺院から出てきたばかり、清潔な白のピナフォアの上に目の覚めるような真紅のコートを羽織っています

「なぜわかる?」と数学教師が聞きとがめました。「そのすがたを見たこともないというのに」

「いえ、夢で天使さまを見ました」と子供たち。その答に数学教師は顔をしかめました。とてもきびしい顔つきなのです。こどもたちが夢をみることなど、けしからぬとこの教師は考えているのです

さて、この訳文でいかがでしょう? 2行目、a sensible motherを「センスのいい母親」と訳しているものがあるのを見たときは、驚倒しましたが(sensible; wise)、それ以外はどの訳文も五十歩百歩か。しかし、どのいづれも、こどもの読む絵本にふさわしい日本語にはまるでなっていないうらみが大きい。

ただし、5-8行目、”I am glad there is some one in the world who is quite happy,” muttered a disappointed man as he gazed at the wonderful statue. につき、拙訳よりも、いい日本語にしている例がひとつありました。

「いいもんだな。世界にひとりだけでも幸せそうな人があるというのは」。夢も希望もない男が王子の像を見上げてそう言った

これが正に原文のニュアンスをそのまま日本語に移していると思います。私の負け。

英文和訳ってね、昔から変だと思う。逐語訳でいいということになっているが、忠実に訳すというのは、じつは、正しいようで正しくないから。翻訳は言語を移せば足りるのではなく、「文化」を等価に移すことでなければ、ならないはずだから。移すべきは「ニュアンス」のはず。或は文章のもつ「品位」、美しさ。単語レベルの部分的正しさを優先した結果、文章全体としては、ひずみが来ている、まちがっているということでは、本末転倒であろうのに

 

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