The Happy Prince(6)

「雨粒もしのげないようじゃ、この彫像にもいったいなんの意味があるんだか」とツバメ。「煙突の上についてる雨よけでも探しに行かなきゃ」。そう意を決して飛び立とうと、つばさを広げるや否や、三番目の雨粒がまたポトリ

さすがにツバメも上を見上げます。そこでツバメの目に入ったものは、さあ、一体なんでしょう?

無憂の王子の両の目には、なみだがあふれております。そのなみだが黄金のほおをつたって、流れ落ちているのでありました。王子のお顔はたいそう美しく月のひかりに照らされて、さしもののツバメも、おいたわしやと、胸がいっぱいになってしまいました

「あなたさまはどなたで?」 ツバメが尋ねますと、「わが名は、無憂の王子」との御答があります

「そんなおかたが、なぜお泪を?」とつばめが異なことと続けます。「おかげで、わたしはずぶぬれですよ」

「この世に私が生きて、にんげんの心をもっていた時」と彫像は語り始めました。「なみだが一体どういうものであるのか、私は知らなかったよ。だって、私は、かのフレドリック大王がお造りになったサン・スーシ(無憂宮)に住んでいたのだからね。サン・スーシに、憂愁かなしみが立ち入ることは、許されていないのさ、わかるだろう? 日中はとりまきと園遊会、そして夜ともなれば、大舞踏会のダンスに一番乗りさ。アハハ」

3行目、chimney-potですが、これは煙突の上に(雨除けのためでしょうか)すこし蓋をするような覆いを指すようです。ネットの時代は便利なもので、検索すると、「ああ、こういうのね」と実物の写真を見せてくれるので助かります。じっさい、異国の物は、実物をみれば簡単にわかるものを、ということが多いですね。不勉強な訳者どもは、よくわからないので、「煙突」とだけ訳しています。しかしそれでは意味が通らないはずです。この点すこしは物を考えたらしい訳者は「煙突のくぼみ」と誤訳していますが、前者よりも、努力は買うべきでしょう

And what did he see? そこでツバメの目に映ったものは? この言い回しはワイルドがほかにも好んでくり返しています。おそらく英語の絵本では常套の言い回しなのでしょう(たしか、Leo Lionniの絵本でも見かけました)。童話をはなし聞かせるおとなと、熱心に聞き入るこどもたちの姿が目に浮かぶような、ほんわかさと緊張のいりまじる、よい言い回しだと思います。しかし、このニュアンスを大事にしようとしている日本語訳者は、ひとりだけかな

すべての日本語訳者が犯している最大級の愚劣がこのページに集約されています。「あなたはだあれ?」「ぼくは幸福の王子だよ」。こんなマヌケな翻訳をしてなんの羞恥も感じていないようなんですね。だって、文字通りだもん、というのでしょうが、違うにきまっています。ワイルドは、童話の中でぜんたいに古風の言い回しを尊重しており、それがジェームズ1世欽定訳の聖書の文体です。それに合わせて品格のある日本語訳をしなければなりません。私に欽定訳聖書のニュアンスがわかるのかと言われても困りますが、ほんのかすかな香りもまるでわからない、ということなどあるものか、とだけはお答えしておきましょう

human heart. にんげんの心。これがのちに「鉛の心 leaden heart」と対比されて出てくる重要単語です

原文にはむろんありませんが、プロイセン王国の大王、フリードリッヒ2世(1712-86)がポツダムに造営したサン・スーシを、スッとなんの説明もなく童話の舞台に設定するところが美学者たるワイルドらしさ。フルートの名手にして、女嫌いのダンディ、かつ美学者であったフリードリッヒ2世とワイルドは、軍事を除けば、趣味的に非常に通じるものが、(男色のお遊びを含め)さぞかしあったであろうと想像するだけでもたのしいですね

 

 

 

 

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