The Happy Prince(8)

「お針子は、主の受難の花を、繻子しゅすのガウンに刺繍している。女王陛下の侍女のうち、もっとも愛らしい娘が、きたる宮廷舞踏会にて纏まとう予定のもの。部屋のすみなるベットには、男の子が病気で臥せっている。熱が出て、オレンジが欲しいと言っているよ。河の水より他にお針子にはむすこにやれるものがないので、幼子おさなごは泣いているのだ。ツバメよツバメ、小さき僕しもべ、わが帯剣の柄つかよりルビーを抜いて、哀れな母親に届けてやってはくれぬか。私の足は台座に縛りつけられて動くことかなわぬがゆえ」

「私には、埃及エジプトで待っている仲間がいるんです」。ツバメはあらがいました。「いまごろ、みんな、ナイル川を、上に下に、飛びまわってまさあ。おおきな蓮の花を相手に話をしてますよ。じきにファラオの墓所まで行って寝床をとるんです。ファラオは彩色が施された棺のなかにお休みになっておられます。黄色い亜麻に包まれてね。なかは香料の詰め物がされているんですよ。お顔の下には淡緑の翡翠ひすいの首飾り。両の御手はまるで枯葉のよう」

まるでひどい、というのがpassion flower(L. flos passionis)の翻訳だ。ぜんぶ「トケイソウ」で済まされている。「トケイソウ」と言われてその意味のわかる日本人がどれほどいるというのか、その答を知らぬわけでもあるまいに。十字架に磔はりつけとなった主しゅイエスの「受難」をばpassionということさえ、たいていの日本人は知らない。passionといえば日本人は「情熱」としか解さぬ。そのことを知らぬわけでもあるまいに「トケイソウ」と訳して済ましているのでは、とうていワイルドの童話にあるキリスト教的要素はますますわからないし、西洋理解への途をみづから塞いでいるようなものではないか。装飾的効果としては、宮廷舞踏会という栄光と、主の磔という悲惨の対比がむろんあるわけだろうが、単に「トケイソウ」ではまるで、わ・か・ら・ぬ!

orange. 悲惨な生活の中にきわだつ色彩をねらったか。それともエジプトに到る、南方への憧れを前ぶれしたものか。前者の効果をねらった作品として、芥川龍之介の『蜜柑』(大正8年)を想起するのは、悪くない文学的聯関だろう。ちなみに芥川は、十代のころ「ワイルドやゴーチエとかいふやうな絢爛とした小説が好きであった」と述べている(「愛読書の印象」大正9年)。

Swallow, swallow, little swallow. この話を英語で読んだ人には絶対にわすれられない王子の台詞。わがむすこもすぐによろこんで暗記した。童話的要素あふれる、くりかえしの言葉。しかし、これを「つばめさん、つばめさん、ちいさなつばめさん」と訳した人があるが、どうかねえ…。東大教授でさえ、逐語訳をしたら能事畢れり、とおもっているのだから、愚劣の闇は深い。じょじょにわかるはずだが、王子は神でツバメは天使(神のみ使い)という役回りが重なっているのである。王子とツバメはけっして対等ではない。身分差がある。(日本語訳者は万事、平民主義に解しているようだが) すると「ツバメよツバメ、ちいさき僕しもべ」という日本語訳が「正解」とならざるをえないのは当然と私には思われるのだが、みなさん、どうだろう? 逐語訳は翻訳ではない。翻訳は「文化」を等しいレベルで移さなければ意味がないのである

ナイル川 the Nile が、アフリカ奥地から地中海にむかって一直線に流れている部分を「上エジプト」、下流になるほど川は支流をたくさんつくって地中海に近い部分でデルタ地域をかたちづくるが、その部分を「下エジプト」といい、この両エジプトを支配する者がエジプトの王、ファラオである。ナイル川の流れのかたちは「蓮の花」のようであり、「蓮の花lotus flower」はエジプトの象徴である。エジプトの王様を「ファラオ」ということは聖書にも出てくる話で(ユダヤ人たちはエジプトに逃げ込んだり、そこから出たり、絶えず忙しい)、異国情緒ゆたかに(ワイルドの意図は正にここにあり)、この言葉を翻訳ではとるべきだが、「逐語訳」教に洗脳された日本語訳者どもは誰一人、そうは訳さぬ。なるほど、これでは文学が絶えるわけである

似たようにひどい例がjadeである。これも東洋の文明圏に生を享けた者ならば伝統的に「翡翠」と訳して当然のはずが、「硬玉」とか訳して平気の感覚の前には、もう何も言う気をうしなってしまう、を通り越して、死にたくなる!

 

 

 

 

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