「わしの庭は、わしの庭じゃ」。大男は高らかに宣言しました。「誰でもわかる道理じゃ。わし以外のなんぴとたりともここに入って遊ぶことを禁ずる」。高い壁を築いて庭園をぐるりと囲ってしまうと、注意書の看板を掲げました
侵入者は処刑する
大男は、こうして庭をひとりじめしてしまったのでした。かわいそうに、こどもたちは遊び場を失いました。しかたなく道であそぶのですが、道路は埃ほこりだらけ、硬い石だらけなので、こどもたちはいやがりました。学校がおわると、築かれた高い壁の周囲をウロウロして、なかの美しい庭園について語り合ったものでした。「ああ、あのころはよかったなあ」と、昔を思い出してみなしんみりしたものです
春がきました。国じゅういたるところに小さな花が咲き、小禽ことりがあつまりました。しかし大男の庭だけは季節が冬のまま。鳥たちも歌おうとしないのです。なにしろ、以前の様に、こどもたちがいないのですからね。木々も花をつけることを忘れています
So he built a high wall all round it. ワイルドは、楽園Paradiseとしての「庭園garden」ということを、ようく理解していた人だと思います。安全、平穏、豊かな色彩と輝き、ぜいたくな美と享楽だけがあって、哀愁のしのびこむ余地がないところ。『ドリアン・グレイの肖像』は美しい庭の描写ではじまっていますし、『無憂の王子』では、王子が生前住んでいたというサン・スーシ(無憂宮)が、まさにそういうところとして描かれていました。しかし、楽園から一歩そとを出るとそこは不安と恐怖、悲惨と醜さ、苦痛だけに満ち満ちた無彩のさびれた世界。だから楽園の周囲には「高い壁」が築かれる必要があるのです。逐語訳者たちは、ここでもwallを「塀」と訳していますが、これはjapaneseな感覚だと思います。やはり石の厚い「壁」ととらえたほうがeuropeanな雰囲気が出ると思います
prosecution. 刑事訴追する、とマジメに訳してもねえ。おもしろくないでしょ。せめて「侵入者には刑罰を用意する」ぐらいには訳さないと、可笑しみが出ないだろう。日本語の語感がわるい富士川などは「告発」とか訳語に選んでいるが、それでは全く怖い感じがしない
He was a very selfish Giant. こうやって、童話のタイトルのなかみが示されるわけですから、なぜ「わがままな大男」なんですか? 逐語訳者どもは日本語の感覚じたいに障害があるとしか言いようがない。「ひとりじめする大男」のほうが余程原文に沿った「翻訳」だと思うのです。あきらかに童話のかたちをとったワイルドなりの資本主義批判(独占資本批判)といっても強いてまちがいではない
all over the country. 「そのあたり一面」(西村)。「田舎じゅう」(富士川)。西村訳はでたらめ。この文脈で「田舎」に春の訪れを限定する理由がないので、富士川訳は、富士川一流の迷訳
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