The Happy Prince(5)

日がな一日、飛びに飛んだツバメは、とっぷり夜も更けて、都まちにようやくたどり着きました。「どこに泊まろうかなあ?」とツバメ。「寝支度の用意がされてあるといいんだけどなあ」

そこへ目に入ったのが、石塔の上に立つ、王子の彫像です

「あそこに泊まろう」。ツバメは、やったね、と声をあげました。「おあつらえむきのいい高さだ。新鮮な空気もたっぷり吸えると来ている」。無憂の王子の両足のあいだにそっと降り立ちます

「ベットは黄金製だぞ」。ツバメは、やすらかにつぶやき、あたりを見回し、寝に入ります。しかしその時でした。おおきな雨粒が、首を翼の下にもぐりこませたツバメの上に降りかかってきたのは

「なんと奇妙なこともあるもんだ!」 ツバメはびっくりして言いました。「空には雲ひとつないんだぜ。星もすっきり明るく輝いているというのに、雨だなんて! 北ヨオロッパの気候ときたら、ほんとうにひどいものだ。葦子よしこはそういえば雨が好きだったが、あれもじぶんのことしか考えていなかった証拠さ」

そこへ、また雨粒が降ってきました

3行目、preparationって、なんでしょうねえ? きわめつけにひどい日本語訳には「施設」というのがありますが、これにはあきれ返ってしまいます(訳者は東大教授)。 どの日本語訳もなんのprepareか、考えているの? と訊きたくなります。「泊まるput up」ときたら「ベッドの用意をするprepare one’s bed」とくるのは当り前でしょう? 犬が西向きゃ、尾は東。端的にいえば、preparation=bedなんですよ。なんでこれしきのことが、わからんか?

6行目、alightという言葉の見栄えとひびきを楽しみたいと思います。蝶や小鳥など、ちいさきものがそっと舞い降りる描写に、ワイルドは、童話の各所でつかっています。エルの音に伴う「軽み」がありますよね。「ひかり」もあるのだと思います。ツバメの「善良さ」を暗示してもいると私には思えます。

最後、selfishnessですが、ワイルドの童話は、「他人への親切心(be kind to other people)」と対照的な「じぶんだけのことしか考えない心の狭さ」、これを一語で示すものとして、selfishという語が、重要な単語としてつかわれていると思います。単に「わがまま」とか「自分勝手」だけでは、よく通じないと思います。ここでも雨がすきだった葦子よしこと、いま雨に降られて困っているツバメの対比を考え、意味をとって、訳す必要があると思いますね。ワイルドの実人生をふまえて考えると、じぶんのことしか考えていなかった(selfish)のは、じつはワイルドだったということになります。そういう意味では、ツバメの台詞は、じぶんに返ってくる皮肉がひびきます

 

 

 

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