The Happy Prince(18)

「ナイル川には、土手に長い列をつくって、その長い嘴くちばしで金魚を見つけてはヒョイと飲み込む、朱鷺トキの群むれがいるんですよ。それから、かのスフィンクス。この世のはじまりから生きていて、人の住めない砂漠に棲み、この世のことは、なんでも知っていると来ている。アラブの商人は、ラクダと連れだって、ゆっくりゆっくり、歩を進めるんですな。両手には琥珀こはくの数珠じゅずをはめてね。月山がっさんの王の肌は、黒檀のように黒く、あがめるは巨大な水晶。ヤシの木に眠る緑の大蛇には、おつきの僧侶が二十人。へびに蜜菓子を食わせて養っています。アフリカの奥地にはピグミーといわれる小人がいて、おおきな葉っぱをボート代りに湖にうかべては、いっつも蝶と戦争をしているんです」

「ツバメよ、わが親愛なる僕しもべ」と王子が語り始めました。「そなたは摩訶不思議な話を私に聞かせてくれる。しかしこの世で何より驚嘆すべき不思議のことは、にんげんのくるしみだ。貧窮を超える不思議はこの世にはない。わが都まちを飛べ、ちいさき僕しもべ。そうして、そなたの見たものを私に教えるのだ」

ツバメは都まちを飛び、王子に報告します。富める富者は美しき邸宅に楽しみごとを為し、飢えたる乞食はその門前にむなしく座していると

このページのくだりは、『ドリアン・グレイの肖像』(1891年)の第14章にも、全く同じというわけではありませんが、重複するかたちで、出てきます。ワイルドのファンならとっくに知っているのでしょうが、つい4日前に初めて『ドリアン・グレイの肖像』を読んで私は気づきました。何が乗り移ったのか、憑かれたように”The Happy Prince”(1888年)を翻訳してきましたが、あと5回で完、となります。うつくしい英語を読んで、じぶんの満足のいく日本語に移すことがなぐさめとなっていたのでしょうか。訳してみて気づいたことがひとつ。私の訳には「原文」の英語にない言葉がたくさんあると思います。「意訳」ではありません。それは本来、親がこどもに読むときに、こどもをよろこばせるための、声音こわねや顔つきなど、親のたのしみにワイルドが取っておいた部分だと思うのです。だからワイルドは文章ではきわめてシンプルに、たとえば王子とツバメの会話では、said, answered, cried, askedなどの簡単な言葉だけに意図的に抑制しているのではないかと、気づいたのです。そして英文ではそれが美につながっている。表面の文字にあえて詳しく書かなかった複雑な感情の「余韻」をもたらしているのです。キットそうだと思います

 

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