こどもと読書(1)

教師をはじめ、世の人は気軽に「書に親しめ」などと言いますが、「多く学べばからだ疲る」と堂々と言ってのけるのが旧約聖書「伝道之書」。

痛快ですね。

若いときは哲学を学ぶのがよいとか、したり顔でほざく人もありますが、大概にしろ。

しかし、哲学の勉強を最高に節約しようと思ったら、これを読め、というのが「伝道之書」。

以下は去年の今ごろ書いたもの。

昨年は算数をおしえるだけで年を了えたが、首尾よく志望校には合格したので、中学生となった息子に今年は古典をおしえている。

《書ヲ読ムコトヲ好メドモ、甚解じんかいヲ求メズ》

はるかの昔、陶淵明とうえんめいが言うように、なんとなくわかればそれでよいのである。

意味の理解は後からついてくる。

音のひびきを味わうのが先である。

小医「ホラ、読んでご覧」

息子「伝道者でんどうしゃはく、空くうの空くう、空くうの空くうなる哉かな、都すべて空くうなり

旧約聖書から「伝道之書」の冒頭。

いったいに、学校の授業では何を教えているのか知らないが、西洋の学問を身につけようと思ったら、この「伝道之書」を何を措いてもまづは読むべきである。人生の智慧はここから始まるとさえ言ってよいと思っている。

私が何を言っているかわからないという向きには、「伝道之書」はモンテーニュ枕頭の書であったといえば足りるか。

モンテーニュと名前を聞いてもわからない人とは話はしない。

西欧の文学、哲学にはひとつの系譜があって、モンテーニュを読めば、パスカル、デカルトがわかるようになり、パスカルを読めば、ショーペンハウアー、ニーチェがわかるようになる。逆もまた然り。ラ・ロシュフコーやアナトール・フランスも当然わかるようになる。これら《モラリスト(人間観察家)》と呼びならわされているひとびとが作った文学、哲学の世界は大きな宇宙をなしている。「伝道之書」はその出発点にあるのだから、これを読まない手はない。分量だって、芥川龍之介の短編小説ほどでしかない。

小医「伝道者はイスラエルの王だった人だ。賢才あり、葡萄園をひらいて町をゆたかにした。金銀を山ほどたくわえて、みどりなす豪奢な邸に住まい、暖衣飽食、多くの楽人、召使を雇った。美しい妻妾をいくにんも持ち、この世の歓楽を極めた。人生になんのふまんもないと言っていいだろう。それなのに、この人の至ったこの世の結論が…」

息子「嗚呼ああみなくうにして風かぜを捕とらふるがごとし

小医「そうだ、是これもまた空くうにして」

息子「風を捕ふるがごとし」

小医「お、わかってきたな」

息子「うん」

小医「このフレーズがなんどもなんどもこの文章にはくりかえされて、一種独特の雰囲気が醸し出されている。そして一度聞いたら、忘れられないひびきがある」

息子「そうだナ」

小医「結局、ひとは死ぬじゃないか、という嘆きなんだね。《諸すべての人に臨のぞむ所は皆みな同じ》《皆みなちりより出で皆塵にかへるなり》と。その事実の前に、富がなんだと言うのサ。智慧あることがなんだったと言うのサ。生前に築いた名誉や功績、これも結局はぜんぶ忘れ去られてしまってこれっぽっちも残ることはないじゃないかと言うのサ。後代、この伝道之書を愛読したモンテーニュという人が言っている。哲学をするとは、死をまなぶこと。だから、伝道之書に、虚無的な響きがあるとかだけ言っている人は、何にもわかってやしない。そこにはこの世の真実を見つめようという哲学的響きがあると感じなければ、まちがっているわけなんだな」

息子「この世の真実ってナニ?」

小医「お、ストレートに来たな。いいパンチだぜ」

息子「国語はボクシングみたいなものだと、お父さん、まえに言ってましたね。だから打ち返してみました」

小医「ハハハ。この世の真実とはだナ、いかにこの世の中がひどく出来ているか、ということに尽きるわけだ。次を読んでご覧」

息子「ここに我われを転めぐらして日の下に行はるる諸々もろもろの虐遇しへたげを視たり。嗚呼ああ虐げらるる者の涙ながる、之これを慰なぐさむる者あらざるなり。また虐ぐる者の手には権力ちからあり。彼等はこれを慰むる者にあらざるなり

小医「まあね、ここの個所は、お父さんにもあった若かりし頃、一度読んで以来二度と忘れられないくだりだ。蓋し名文というべきだろう。古代の昔だったから残虐なことがあったというわけじゃない。いつの世にだってある。民主主義だから圧政がないとかいうのはバカな人たちが言うことだ。よく見れば、いくらでも、これに類したことはあると思うんだね。それをおもうと義憤に耐えない」

息子「お父さんは、大衆が嫌いといつもよく言ってますね」

小医「そうだ。数の多いものは必ず悪いものだ。この世でいちばんたいせつな人の自由をうばうから。このことは、山本夏彦翁がくりかえしくりかえし文章に書いていた」

息子「ヤマモトナツヒコって?」

小医「今は亡き名文家だ。いったいに、世の中で賢い人は少ない一方で、バカな人は山ほどある。この伝道之書の人は、賢愚の差を、これでもかこれでもかと説いて、愚者をののしっている。だけど、そういうことは東洋で第一の古典である『論語』でも同じなんだから、これも、さっきの「この世の真実」だな」

息子「実はあまり大きな声では言わない方がいいことなんですね」

小医「お前は年少のくせに父よりはるかに賢いなあ。真実といわれるものはたいていそうなんだよ。苦にがいんだ。だから世の中は甘ったるい、うそいつわりで充満している。ホラ、ここ読んでご覧」

息子「衆多おほくの言論ことばありて虚浮むなしき事を増す。然れど人に何の益あらんや

小医「衆寡敵せず、といって、だから、賢くいきるコツは、この手の話題は聞かなかったふりをするのが一番なのさ」

息子「だからお父さんはテレビも見ないし新聞も読まないんですね」

小医「そうやって半分世捨て人になったこころもちでこの世に生きるとすると、見えてくる世界がある。それが動物の世界だ」

息子「動物の世界?」

小医「人間がいない世界だ。おそらく慾というものがあるから、人間の世界はひどい世界になるのだ。伝道之書の人はこの世の歓楽を極めつくした人だから、人の慾がよくよくわかったのだろう。動物と同じその日暮らしに近い生きかたに実はこの世の幸福があるんじゃないかと思ったんだと思う。つぎ、読んでみようか」

息子「《汝なんぢゆきて喜悦よろこびをもて汝のパンを喰くらひ楽しき心をもて汝の酒を飲め。そは神久しく汝の行為わざを嘉納よみしたまへばなり。汝の衣服を常に白からしめよ。汝の頭に膏あぶらを絶えしむるなかれ。日の下に汝が賜はるこの汝の空くうなる生命いのちの日の間あひだ、汝その愛する妻とともに喜びてくらせ。汝の空なる命の日の間しかせよ。是は汝が世にありて受くる分、汝が日の下に働ける労苦によりて得る者なり》《少わかき者よ、汝の少わかき時に快楽たのしみをなせ。汝の少き日に汝の心を悦よろこばしめ、汝の心の道に歩み、汝の目に見るところを為せよ》《我知る、人の中にはその世にある時に快楽たのしみをなし善ぜんをおこなふより善事よきことはあらず》

小医「このあたり、世の中は不義に満ちてひどいところだと嘆いていたのと違って、ふしぎにすがすがしい感じをあたえる気がしないかい?」

息子「ふうむ」

小医「きょう、この日一日を楽しんでくらそうとそれだけ考えて生きれば、慾がない。動物と同じさ」

『伝道之書』における白眉がこの部分だと思う。伝道者は、智慧を礼賛するが、命の終りは智者にも愚者にも、人間にも獣にも平等に訪れる。それ故に「ここに於て我われ、世にながらふることを厭いとへり」と伝道者はいうのだが、結局人が死というものを免れないのなら、今、生きているこの瞬間はなんと貴重であるのだろう、そう思うと、すべてが愛しく美しく見えてくる。先の引用部分は「死者の目」から見た人生の楽しさ、美しさ、すばらしさを訴えているように私には思われる。ルイ・アームストロングにWhat A Wonderful Worldという名曲があるが、どうしてあの曲が感動をうむのか、それが分かる人には通じると思っている。

小医「まあ、古典は一生かけて折に触れくりかえし読むことで、身に沁みてくるものさ。お父さんは今年55歳になるが、今でも読むたび勉強になる。なんじのようにまだ12歳の少年は、短い、カッコよさそうなフレーズを覚えるのがいい」

息子「の下したには新しき者あらざるなり

小医「伝道之書のなかでいちばん有名なフレーズだ。芥川龍之介の侏儒の言葉にも出てくるよ。人間の本性が変らない限り、この世に「新しい」ものなんてあるもんかいというんだね」

古典にはカッコよい言葉が満ちている。短くて力強い。それだけに人の心に深く刻まれて長く残る。

《それ智慧ちえ多ければ憤激いきどほり多し。知識を増すものは憂患うれへを増す》

《天あめが下したの万よろづの事には期あり。万よろづの事務わざには時ときあり》

《二人は一人に愈まさる。孤身ひとりにして跌倒たふるる者は憐あはれなるかな。之を扶たすけおこす者なきなり。二人ともに寝いぬれば温暖あたたかなり。一人ならばいかで温暖ならんや》

《汝なんぢの言詞ことばを少なからしめよ。それ夢は事の繁多しげきによりて生じ、愚かなる者の声は言ことばの衆多おほきによりて識るなり。それ夢多ければ空くうなる事多し。言詞ことばの多きもまた然り》

《人は母の胎はらより出いでて来りしごとくにまた裸体はだかにして帰りゆくべし》

《悲哀かなしみは嬉笑わらひに愈まさる。そは面かほに憂色うれひを帯ぶるなれば心も善きにむかへばなり。賢き者の心は哀傷かなしみの家にあり。愚かなる者の心は喜楽たのしみの家にあり》

《汝なんぢ気を急はやくして怒るなかれ。怒りは愚かなる者の胸にやどるなり》

《幸福さいはひある日には楽しめ。禍患わざはひある日には考へよ》

《汝なんぢただしきに過ぐるなかれ。また賢きに過ぐるなかれ。汝なんぞ身を滅ぼすべけんや》

《事物ものごとの理は遠くして甚だ深し。誰かこれを究むることを得ん》

《誰か智者に如かん。人の智慧はその人の面かほに光輝ひかりあらしむ。又その粗暴あらきかほも変改あらたまるべし》

《愚者は言詞ことばを衆おほくす》

《多く書をつくれば竟はてしなし。多く学べば体からだつかる》

小医「多く学べば体疲る」

息子「まったく、まったく。それじゃ、きょうの勉強はこれでおしま~い!」

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