The Nightingale and the Rose(3)

「あすの夜は皇太子殿下主催の舞踏会」と若い学生はひそかにひとりごつのでした。「あの人は、お供のひとりとして舞踏会に出席なさる。ぼくが赤い薔薇を一輪さしだせば、夜が明けるまで、あの人はぼくと踊ってくださる。ぼくが赤い薔薇を一輪さしだせば、あの人をぼくの腕に抱き、あの人は頭をぼくの肩にもたせて、そうしてあの人の手を僕の手でしっかりつつみこむ。しかし、赤い薔薇は、ああ、ぼくの庭には見つからない。ぼくは、ひとり座して、あの人がぼくの目の前を通り過ぎるのを、むなしく見つめるのみなのだ。まなざしひとつ、あのかたは、ぼくには差し向けてくださらない。ああ、ぼくの心臓はつぶれてしまいそうだ」

「このかたは、まこと、真実の恋をしているかた」。ナイチンゲールは感に堪えたように、ことばを洩らしました。「わたしの歌う恋の歌。それはこのかたをくるしめる。わたしには悦びとなるものが、このかたには傷となる。まこと、恋は、ふしぎに満ちたもの。それはエメラルドにまさって貴く、申し分ないオパールよりも値が張るの。真珠やザクロ石では購えないし、市場に行けばそこに見つかるというものでもないわ。大商人でも品揃えには事欠くかも知れないし、黄金の重みで量り取れるというものでもないの」

Here indeed is the true lover. 前回講釈したように、trueの意味をよくよく考えて、訳出する必要がある。「本物の恋人」という逐語訳は逃げ。「本物の恋人」ってナニ? という疑問がすぐに湧いてでるからである。「ああ、学生さんは、本当に恋をしているのねえ」という嘆息、感激がtrueなのである

What I sing of. 「私の歌うことで、あの人は悩んでいる」(西村孝次訳)。「あたしが歌う内容を、あの方はそのまま悩んでいるのですもの」(富士川義之訳)。まったく何を言っているのだか、唐人の寝言みたいなしまりのない日本語である。ナイチンゲールは何の歌を歌っているか、それは愛の歌ときまっているのである。これは言語の問題ではなく、キマリゴトにぞくする「文化」の問題である。逐語訳ではダメなのである。また「悩んでいる」だって? これもじつに眠たくなる日本語である。後出のpainと合せるならば、sufferは「くるしみ」と訳すべきである。愛はよろこびと共にくるしみを与えるものなのである。最大限の「くるしみ」をこのあと、ナイチンゲールが味わうことになることを考えれば、ますます択ぶべき訳語は「くるしみ」にほかならぬことがおのづとわかろうものだが…

It may not be purchased of the merchants. ふしぎなことに、西村、富士川は、逐語訳教信者のくせに「買うことができない」と言うのだが、本当か? 私はmerchantの語の理解に根本的な問題がひそんでいるように思っている。単に「商人」という日本語の平板なイメージでmerchantをとらえてはいけない。merchantは「大商人」なのである。「大資本家」なのである。ひょっとすると大商人でも「愛」については品ぞろえを切らしているかもしれないから、入手できないかもしれないよというくすぐりを入れたニュアンスがmay notにあると私は感じたが…

 

 

 

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