谷川俊太郎氏の訳によって、小学生にもなじみの深いというLeo Lionniの絵本を今年のEnglish Readingsに選んで息子と読んでいます。
『星の王子さま』は高校2年生レベルの英語かなと思われたので、ぶじに楽しく最後まで読み終りましたが、今年はもっと確実な基礎にもどろうという趣意です。
私「Leoって何?」
息子「レオってねえ…」
私「じゃあ、lionは?」
息子「あっ、そうか。この人の名前は、ライオン・ライオンですね(笑)」
私「獅子ライオン、ってとこだな」
息子「アハハ」
「サテと、これをどう訳す?」
息子「これは、…こちらは、リトル・ブルーちゃんです」
私「そうね。この短い一文で大事なポイントは、作者から読者への登場人物の紹介だ。だから、もっと直球で訳そう。この子が、リトル・ブルーだよ! この英文では、登場人物紹介の意味合いをつかむことが一番だいじ。レオ・レオーニさん自身がそう言っているんだから、これは間違いない」
息子「え、そうなの?」
私「じぶんの作品の中で最高の出来がこのページだ、と言っているよ」
英語教育で問題は、訳すことですね。しかし大事なことは英語を読んでそのままわかることです。英語を英語のまま理解する能力と、それを異なる言語に移し替える作業能力は、別物です。「翻訳」は高等な曲芸(アクロバット)にぞくすることで、大学入試で問われること多い「和訳」作業は、英語の本を片端から読んで楽しめる、多読可能な英語読解能力を高めるためには、害毒にしかならないと思います。短い英文の断片を大した本でもなさそうな書物のどこからかちょこっとだけぬきだしてきて無造作にこれを訳せとか訊いてくる京都大学の英語入試問題は、その意味で、全く感心できません。受験生のオツムを問う前に、教官のオツムこそどうなんだと悪態をつきたくなります。
「ここが彼の家でパパ・ブルーとママ・ブルーも一緒にいる」
息子「英語でも、パパ・ママで通じるんですね。おもしろい!」
私「うん。そうらしい」
「リトル・ブルーにはたくさんともだちがいる」
「けれどいちばんの仲良しはリトル・イエローさ」
私「ここの but his best friend is little yellow、butとbest friendが言葉として、響きとしても、ちから強く、効いていると思わないかい?」
息子「…」
私「ホラ、こどもは二言目には、だって、とか、大好き、とか言うだろう。英語も同じなのさ」
息子「そういえば、そうですね。あ、次は関係代名詞! リトル・イエローは道路の向こうに住んでいる(who lives across the street.)」
私「学校ではまだ習っていないのに、やるね」
息子「星の王子様で、もうわかったから」
日本の英語教育では、「関係代名詞」を中3ごろになってようやく勉強しますが、英語では、小児が読むようなこんな絵本でも、イキナリ、フツーに出てきます。特別な文法ではないのです。「補助説明詞」とか、もっと簡単なネーミングをつけたらどうなのであろうか? 「関係代名詞」など聞いても想像が容易につかない単語を直訳して使ったあげく、中学校のしまいになって事々しく教えるのはいいかげんもうやめたら、と思います。
「こどもたちの好きな遊びと言ったら、かくれんぼ、それに、輪になって遊ぼう」
「学校では、じっとおとなしく席にきちんとついているこどもたち」
「放課後は跳んだり走ったり(After school they run and jump.)」
息子「語順が逆でいいんですか?」
私「走ったり跳んだり、よりも、日本語では跳んだり走ったり、のほうが響きがよくないか?」
息子「いかにも」
私「古き良きを英語ではgood and oldというのだナ。これを大学の先生なんかでは良き古きとかぬかしているのがいて、これでも東大の先生かとお父さんは腹の底から軽蔑していたよ」
息子「フフフ」
「ある日ママ・ブルーはお買物。お前は家にいるんだよとリトル・ブルーに言いつけて」
「だけどリトル・ブルーはリトル・イエローをさがしに家を出た(But little blue went out to look for little yellow.)」
私「ここでもButが効いてるねえ」
息子「こどもは親の言うことなんか聞きません!」
「なんてことだ、リトル・イエローの家は留守」
「ここか」
「あそこか」
「くまなくさがしまわります。だけどようやく、角のところで、ばったり出会ったよ、リトル・イエローに!」
「うれしくてお互いに抱き合うふたり」
「だきあう、だきあう」
「ふたりはとうとう緑色に」
息子「ふっふっふ」
私「おもしろいねえ」
「ふたりは公園に遊びに行った」
「トンネルを走り抜け」「リトル・オレンジを追いかけまわしたり」「山を登ったり」
「つかれたので」「家路につくふたり」
「パパ・ブルーとママ・ブルーは言った。お前は私らのリトル・ブルーじゃない。だってグリーンじゃないか」
「パパ・イエローとママ・イエローも言った。お前は私らのリトル・イエローじゃない。だってグリーンじゃないか」
「リトル・ブルーとリトル・イエローは哀しみの淵に沈みました(very sad)」
私「このvery sadを味わおう。子供の絵本に出てくるくらいだから、sadはとても力強い言葉なんだと思う。直訳したら「とても悲しみました」。だけど、日本語ではこのsadの語感に追い付いていない。日本語にするなら、悲しみのどん底に沈みました、位にしないと通じないと思ったのだが」
息子「深いですね」
「ふたりは、号泣して、青い泪と黄色い涙をこぼしました」
「泣いて、泣いて、ふたりのからだはぜんぶ涙になりました(They cried and cried until they were all tears)」
私「これは詩、だね」
息子「しかし奇蹟が! とうとうふたりはじぶんじしんを取り戻して、元のリトル・ブルーとリトル・イエローに! ほんまかよ?」
「ママ・ブルーとパパ・ブルーはこどものリトル・ブルーを見ておおよろこび」
「おやこは抱き合って、キスします」
「リトル・イエローも抱きしめたら、あ! 緑色になっちゃったよ!」
「これで、なにがあったか、わけがよくわかりました」
「通りをわたって、リトル・イエロー家にthe good newsを伝えに行きました」
息子「the good newsって?」
私「なんだろうねえ。ドイツ語ではエヴァンゲリオンっていうらしいが…。答は、聖書に言う「福音」だよ。英語圏の文明はキリスト教を背景にしているからねえ。星の王子様でも、creatureという言葉が出てきただろう?」
息子「地球上のすべてのいきものは全能の神! が作られた(create)。だからクリーチャ。南無阿弥陀仏、じゃなかった、アーメン!」
「両家のお父さんお母さんもおたがいに抱き合って、よろこび(joy)をわかちあいました」。
私「joyという言葉もつよい響きがあるねえ」
息子「but, best friend, sad, joy…」
「こどもたちは晩御飯の時間まであそびましたとサ。おしまい」
私「サテと、ここに出てきたthe good newsの中身とは、いったい、なんなのだろうねえ。わかるかい? theがついているしねえ。なにかいわくつき、なのではないか? ここではちい青とちい黄色の合体で碧になりましたという他愛もない話なんだが、もっと突っ込んでズバリ言うとだ、この絵本の出版は1959年で、レオ・レオーニさんは、ファッシスト・イタリアからの亡命後、アメリカで敏腕デザイナーとして大活躍していたわけだが、その当時のアメリカで最大にホットな政治問題は、人種差別反対運動だったわけだ」
息子「キング牧師?」
私「おっ?」
息子「授業で最近聞きました。I have a dream.」
私「絵本の中でちらっと出てくる、輪になって遊ぼう(Ring-a-Ring-O’Roses)、これについても当時のアメリカでは白人のこどもと黒人のこどもが一緒にこれで遊んでいる写真がけしからんと万博会場のアメリカン・パヴィリオンでは掲示を政治的圧力で取り下げたのだそうだよ」
息子「ふうん」
私「レオ・レオーニさんが伝えたかった福音は、差別なき社会ということだったわけだな」
息子「へえ」
私「いつの世にも不正があり、それと戦う必要があるかぎり、政治は避けられない。しかし政治は人を疲弊させるものだ。レオーニさんは子供心の詩情に響く形でうまく絵本という芸術に正義への祈りをこめたことに成功していると思う」
息子「かっこよくまとめましたね」
私「そんな名作でも、リトル・ブルーは男の子で、リトル・イエローは女の子だとすると、この絵本は性差別に加担しているから、この絵本は教育によろしくないので幼稚園から撤去するとかいう愚かしいさわぎが、この21世紀にだよ、イタリアでは起きたというのだ」
息子「マジですか?」
私「なんでもウーマン・リブの連中のしわざだろう。いつの時代にも、愚かしい人びとの数は尽きず、なけなしの美と詩情をこの世から無きものにしようとしている。しかし、そんな連中のことは知らないと言い、視線を遠くに定めて、真実を信じる不動のこころをもつことが、これまで以上に求められているといえるかなあ」
息子「またかっこよくまとめましたね。まあ、そう悲嘆せず。おとうさん」
私「歳をとるとねえ、そうもいかなくなるのサ」
息子「まあ、だいじょうぶですよ」
註)Leo Lionniを何と読むかは、存外むつかしく、私は「レオ・リオーニ」と読んでいたが、「リオ・リオーニ」とか「レオ・ライオーニ」とか色々ありうる。なんでもいいのだけれど、絵本では「レオ・レオニ」か「レオ・レオーニ」で通っているらしいので、それに倣うことにした。
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