無憂の王子(全:前編)

まちに高くそびえる石柱の、台座の上にすっくと立てる彫像こそは、無憂の王子なり

全身はくまなく純金のうすい箔はくにて覆われています。きらめく双眼には青いサファイア。帯剣の柄つかにはおおきな赤いルビーがはめ込まれ、これまたきらりと、光を放っているのであります

ひとびとの王子を崇あがめる様子はたいしたものでした

「風見鶏のようにうつくしい」とコメントしたのは、ひとりの都市参事会員であります。おれ様は藝術がわかるのだぞという風評を得たいがために、そう口にしたものと見えます。「ただ、おしむらくは、そう役に立つものでもないところだナ」とよけいなひとことを加えました。役に立たない男だと都民から思われることを用心したのでしょう。じっさい、彼は実に役に立つ男でした

「どうしておまえはそう強情なの。無憂の王子を見習いなさい」。賢母がだだをこねる幼な子をしかっています。「王子さまは、けっして駄々をこねるなんてこと、夢にも思わないのよ」

「このよのなかに、憂いというものをつゆ知らぬ人が実在していると知って、私は欣快きんかいに堪えない」と失意の男が彫像をみあげて、もごもご、つぶやいています

「ほんと、天使さまみたい」。そう言ったのは、慈善院のこどもたちです。大寺院から出てきたばかり、清潔な白のピナフォアの上に目の覚めるような真紅のコートを羽織っています

「なぜわかる?」と数学教師が聞きとがめました。「そのすがたを見たこともないというのに」

「いえ、夢で天使さまを見ました」と子供たち。その答に数学教師は顔をしかめました。とてもきびしい顔つきなのです。こどもたちが夢をみることなど、けしからぬとこの教師は考えているのです

ある夜のこと

ちいさなツバメがこの都まちに飛来してきました

ほかのツバメたちは、とっくの昔にはるか遠くのエジプトに渡ってしまったというのに、このツバメはここに残ったままなのです。だって、ツバメは、この世のものとは思われぬほど美しい、葦よしくさとの恋におちていたのですから

出会いは早春のころ。黄色い巨おおきな蝶々をおいかけて、ツバメが川辺に、空からすべり落ちてきたとき、葦よしくさのほっそりした腰つきを見ると、もういけません、ツバメはつばさを休めるや、葦よしくさに話しかけていました

「きみに恋していいかい?」 単刀直入がツバメの好むところ。葦よしくさは深いお辞儀で意を迎えました。ツバメは葦よしくさの周囲をなんどもなんども旋回し、つばさで川水をさっと切ると、銀のさざなみが広がります。これがツバメの求愛の礼で、それは夏のあいだ中、ずっと続きました

「オイオイ、どうかしちゃったんじゃないのか、といいたくなるようなご執着ぶりじゃないか」。なかまのツバメが囃はやします

「ばかだなあ、葦よしっ娘は貧乏で、そのうえ、身内とあらば多すぎるほど、いる身なんだぜ」。なるほど、川辺には山ほど葦よしくさがしげっています。秋がきたので、なかまのツバメはぜんぶ姿を消してしまいました

なかまがいなくなると、さびしくなったツバメは、最愛の人にも飽きを感じ始めました。「だって、会話してくれないんだもん」

「彼女は、浮気女じゃないかと心配になる。秋風といっつもいちゃついてやがるからなあ」。ツバメの心配を裏付けるように、秋風が吹くとき、葦子よしこはいかにも優美なお辞儀を、秋風にして見せるのです

「彼女はいかにも地にどっしり足が着いている。しかし、この僕ときたら、僕は旅が好きなんだ! ぼくの妻ならばだ、夫の好みに従い必然的に、旅を好きでないといけないのは、理の当然だろう?」

「ぼくについてくる気はあるの?」。とうとう、ツバメは、葦子よしこに告げました。葦子よしこは首を横にふるばかり。だって、大地に足が着いて離れないのですから。「ぼくをからかっていたんだな」。ツバメは泣きました。「それじゃあ、ピラミッドに向けて出発だ! さよなら!」 ツバメは葦子よしこに別れを告げました

日がな一日、飛びに飛んだツバメは、とっぷり夜も更けて、都まちにようやくたどり着きました。「どこに泊まろうかなあ?」とツバメ。「寝支度の用意がされてあるといいんだけどなあ」

そこへ目に入ったのが、石塔の上に立つ、王子の彫像です

「あそこに泊まろう」。ツバメは、やったね、と声をあげました。「おあつらえむきのいい高さだ。新鮮な空気もたっぷり吸えると来ている」。無憂の王子の両足のあいだにそっと降り立ちます

「ベットは黄金製だぞ」。ツバメは、やすらかにつぶやき、あたりを見回し、寝に入ります。しかしその時でした。おおきな雨粒が、首を翼の下にもぐりこませたツバメの上に降りかかってきたのは

「なんと奇妙なこともあるもんだ!」 ツバメはびっくりして言いました。「空には雲ひとつないんだぜ。星もすっきり明るく輝いているというのに、雨だなんて! 北ヨオロッパの気候ときたら、ほんとうにひどいものだ。葦子よしこはそういえば雨が好きだったが、あれもじぶんのことしか考えていなかった証拠さ」

そこへ、また雨粒が降ってきました

「雨粒もしのげないようじゃ、この彫像にもいったいなんの意味があるんだか」とツバメ。「煙突の上についてる雨よけでも探しに行かなきゃ」。そう意を決して飛び立とうと、つばさを広げるや否や、三番目の雨粒がまたポトリ

さすがにツバメも上を見上げます。そこでツバメの目に入ったものは、さあ、一体なんでしょう?

無憂の王子の両の目には、なみだがあふれております。そのなみだが黄金のほおをつたって、流れ落ちているのでありました。王子のお顔はたいそう美しく月のひかりに照らされて、さしもののツバメも、おいたわしやと、胸がいっぱいになってしまいました

「あなたさまはどなたで?」 ツバメが尋ねますと、「わが名は、無憂の王子」との御答があります

「そんなおかたが、なぜお泪を?」とつばめが異なことと続けます。「おかげで、わたしはずぶぬれですよ」

「この世に私が生きて、にんげんの心をもっていた時」と彫像は語り始めました。「なみだが一体どういうものであるのか、私は知らなかったよ。だって、私は、かのフレドリック大王がお造りになったサン・スーシ(無憂宮)に住んでいたのだからね。サン・スーシに、憂愁かなしみが立ち入ることは、許されていないのさ、わかるだろう? 日中はとりまきと園遊会、そして夜ともなれば、大舞踏会のダンスに一番乗りさ。アハハ」

「宮殿の庭園を囲繞いにょうして、とても背の高い壁が築かれていたよ。壁の向こうにはどんな世界が広がっているか、しかし、私は尋ねてみもしなかった。なぜって、私の周囲はすべて、この世のものとは思われないくらいに美しかったからね。私の廷臣は、私のことを、無憂の王子と呼んだよ。たしかに私は無憂であり、幸福であった。もし快楽を幸福と呼ぶのならね。そのように私は生き、そのように私は死んだ。私が死ぬと、人びとは、こんな高い所に私を置いて、この都まちのすべての醜悪と悲惨を私の目に入るようにしたのだ。私の心臓はいまや鉛でつくられている。にもかかわらず、私は人としてのなみだをこぼさずにはいられない」

ツバメはおどろいてそっとひとりごちました。「なんだって! 王子は純金というわけではないらしい」。ツバメは礼節をわきまえていたので、自分の意見というものを周囲に聞こえるように口に出すのは、ひかえたのである

「はるかとおく」彫像は、妙たえなる調べのような低い声で、話をつづけます。「はるかとおくの小さな街区に貧乏な家がひとつある。窓のひとつが開いているな。そこから一人の女が卓テーブルに座っているのが見える。顔はやせこけ、疲弊の色が濃い。手ゆびは荒れて赤い。お針子をしているので、針で刺して腫れたものらしい」

「お針子は、主の受難の花を、繻子しゅすのガウンに刺繍している。女王陛下の侍女のうち、もっとも愛らしい娘が、きたる宮廷舞踏会にて纏まとう予定のもの。部屋のすみなるベットには、男の子が病気で臥せっている。熱が出て、オレンジが欲しいと言っているよ。河の水より他にお針子にはむすこにやれるものがないので、幼子おさなごは泣いているのだ。ツバメよツバメ、小さき僕しもべ、わが帯剣の柄つかよりルビーを抜いて、哀れな母親に届けてやってはくれぬか。私の足は台座に縛りつけられて動くことかなわぬがゆえ」

「私には、埃及エジプトで待っている仲間がいるんです」。ツバメはあらがいました。「いまごろ、みんな、ナイル川を、上に下に、飛びまわってまさあ。おおきな蓮の花を相手に話をしてますよ。じきにファラオの墓所まで行って寝床をとるんです。ファラオは彩色が施された棺のなかにお休みになっておられます。黄色い亜麻に包まれてね。なかは香料の詰め物がされているんですよ。お顔の下には淡緑の翡翠ひすいの首飾り。両の御手はまるで枯葉のよう」

「ツバメよツバメ、ちいさき僕しもべ」。王子がツバメによびかけます。「一夜ひとよでよい、ここにとどまり、私の使者となってはくれぬか。幼子おさなごは水に飢かつえ、あわれな母親は絶望しているのだ」

「男の子は好きではないんでしてね…」とツバメ。「去年の夏でしたよ。川辺に私がやすらいでいますと、ふたり、しつけの悪いくそガキがいるんですな。粉ひきの息子ですよ。これがいつも私をねらって、私をみつけてはきまって石をなげてくるんです。当たりゃしません、当然ですがね。ツバメさまがそんなものに当たっちゃ、名折れもいいとこだ。まあ、言いますがね、敏捷なことにかけては、私はこれでも恥ずかしくない一門の出なんですよ。しかし、まあ、ガキどものやることには、われわれに払うべき敬意、というものがカケラもありませんわな」

無憂の王子はとても悲しげな表情をお見せになるので、ツバメは、申しわけない気持になるのだった。「当地の寒さと来たら、本当に凍えちまう」とツバメ。「しかし、まあ、わかりましたよ、今夜一夜ひとよ、あなたの使者としてお仕えしましょう」。「感謝する。わが僕しもべ」。王子は莞爾かんじとしました

ツバメは王子の剣からルビーの大玉をとりだすや、嘴くちばしに咥くわえて、都まちの家並の屋根という屋根をスイスイ飛び越えていきました

天を摩す大聖堂を飛び越えてゆくツバメ。その高い塔には、白い大理石に天使さまが彫られています。女王陛下の宮殿をよぎる時は、華やかなダンスの楽がくの音が地上からツバメの耳にも響いてきます

宮殿のバルコニーに恋人を伴って姿を現したのは、この上なく美しき例の侍女。「夜空の星のなんとすばらしいことだろう!」と供の若者がさけびました。「愛の力、もまたしかり」とにやけています。「私のドレス、つぎの宮廷舞踏会までに間に合うかしら」というのが侍女の返事。「イエス様の受難の花を刺繍してねとたのんであるのよ。だけど、お針子と来たら、ほんとに仕事がとろくって」

ツバメが川を飛び越えるときは、停泊中の船のマストに揺れるランタンのあかりが目にもまぶしく。ゲットーを飛び越えるときは、年寄のユダヤ人が、銅の秤でお金をかぞえながら、もっと負けろとやり合っている様子が見えました

そうして最後にたどり着いたのが、例のあばら家。のぞきこめば、幼子は、熱を出して、苦しそうに寝返りをうっております。母親は疲労の極きわみにしずかに寝入っている様子です

ツバメはピョンと室内に入るや、ルビーの大玉を、卓テーブルの上、お針子の指ぬきの傍に置きました。つぎにそっとベットの周りをぐるぐる羽搏ばたいて、男の子の額にすずしい風をおくって遣ります。「ああ、なんとひんやりして、きもちのいいこと」。男の子は微笑みました。「きっとよくなるんだ」。たちまち男の子は黄金のまどろみに包まれていきました

ツバメは無憂の王子のもとに戻り、以上のことを申上げます。「妙な話なんですがね」とツバメ。「なんだか体がぽかぽか、あったかいんですよ。こんなに寒い日だっていうのに」

「そのわけは、ツバメよ、なんじが善事を成就したからだ」と王子。ツバメは王子の言葉の意味がわからないものですから、首をかしげて考え始めたのですが、そのままスルスルと眠りに落ちてしまいました。ツバメは考えごとをするときまって眠くなるのです

夜が明けるや、ツバメは川辺に降り立って、水浴びをしていますと、橋の上から通りすがりにそれを見た鳥類学者が、「稀代の珍事だ」とさけびました。「冬にツバメがいる!」 鳥類学者は、地方新聞に長文の投稿を寄せました

人びとは、寄ると触ると、その新聞記事を話題にしました。鳥類学者にしかわからない、ちんぷんかんぷんの単語ばかり、記事には並んでいたというのにね。「今夜、ぼくは埃及エジプトに飛び立つ」。そう思うだけで、胸の高鳴りをおぼえるツバメなのでした。おわかれに、都まちの公共記念碑をすべて訪ね、教会の尖塔せんとうの先に長いこと、とまったまま、時間を過ごしました

ツバメが行く先はどこもスズメが、チュンチュン、仲間うちでささやいております。「大した旅のお客人だそうだ!」 それを聞いて、ツバメも悪い気はしないのでした

月が昇りツバメは王子のもとへ参ります。「エジプトに言伝ことづてなどございましょうか? あればお伺いしますが」。ツバメは声を張り上げました。「今夜エジプトへ参ります」。王子の返事はこうでした。「ツバメよツバメ、ちいさき僕しも。いま一夜ひとよ、私のもとにとどまる暇いとまはなきや」

「僕には埃及エジプトで待っている友があるのです」とツバメ。「あす仲間たちは第二瀑布ばくふまで飛ぶというんです。そこじゃあ、カバの連中がパピルスの茂みのなかでじつにのんびりしているんです。花崗岩でできた玉座にはメムノンの巨神が鎮座ましましてね。巨神は一晩中天空をご覧あそばして、暁あかつきの星がひかるとき、よろこびの雄たけびを上げなさいます。あとは沈黙がひろがるのみ。正午になりますとね、黄色ライオンの連中が…」

 

 

 

 

 

 

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