レオ・レオーニ(4)

むすこ「meadowって?」

父「お前にあげた、あのFrog and Toadにも、出てくるよ。英語の絵本にはしょっちゅう出てくるが、日本の学校教育で習う英語の中ではなぜかトンと出てこない単語のひとつじゃないか? まあ、ここに絵で描いてあるわなあ。この緑のカーペット。これがmeadowさ。絵本はべんりだねえ」

む「このwhereは関係代名詞?」

父「正確には関係副詞というのだと思うが、まあそんなもんだ」

む「牛が食み、馬がかける、みどりの草原、そのへりにながく沿って、古い石垣がありました

父「cowは乳を出す牛。だから牝牛めうし。日本人のふつうの感覚でいう「牛」はcattleがいちばん適当なんだろうなあ。西欧人は牛と共に生きてきた人たちだから、去勢していない牡牛おうしはbullとか、去勢した牡牛はoxとか、細かくわけてるね。ここのalongの使い方が何かヘンな感じがしなくもないが、まあ、いいか」

農家の物置と穀倉からとおくない距離にある石垣の中には、おしゃべりな野ネズミ(field mice)の家族がすんでいました。

父「このfield miceってのも、よく絵本に出てくるわ。miceはmouseの…」

む「複数形!」

しかし、農家の一家は引越をして、物置は捨ておかれ、穀倉はからっぽに。ふゆの到来も遠からず、ねずみたちは、とうもろこし(corn)や木の実(nuts)、小麦(wheat)、わら(straw)を蒐あつめ始めました。みんな昼も夜も働いていますが、…

む「exceptって?」

父「以外! Except meといえば、ぼく以外。ここではフレドリックという主人公のねずみだけは働かないというのだよ」

む「なんで?」

父「次のページで、ほかのねずみがお前と同じ文句をフレドリックに告げてるよ」

む「あ、ホントだ」

「フレドリック、なんでお前、働かないんだよぅ?」ねずみたちが訊きました。

「ぼくはむろん働いているよ(I do work)」とフレドリック。「僕は、さむくて暗い冬の日々にそなえて、おひさまのひざし(sun rays)を集めているのサ」

む「なんでdoだけななめに書かれているの?」

父「これはイタリックといって、単語を強調する時にそうする英文の慣習さね。ほかのねずみがなんで働かないんだというけど、イヤイヤ、ぼくはじっさい働いているんだよという言い返しを強めているのがdoとこのイタリック」

む「ふ~ん」

フレドリックがすわって緑の原(meadow)をじっとみつめているのを見て、なかまのねずみは「で、フレドリック、いまは何をしているんだい?」

「いまは、色彩をあつめているのさ」とフレドリック。「わからないのかい? だって冬は灰色なんだよ」

フレドリックがうつらうつらしている様子をみて、なかまは「夢でもみているのかい」と咎とがめると、フレドリックは「何を、失敬な。ぼくはいま詩句を集めているのサ。冬の日は長く、幾日もつづくんだよ。そうしておかないと話のたねも尽きちゃうだろう」

冬の日がやってきて初雪がふると、五匹の野ネズミは石垣のなかの隠れ家ににげこみました。

む「とうとう冬がやってきましたね」

父「隠れ家(hideout)って言葉がいいね」

父「こういう狭いあなぐらに食料がたくさんあって、外は極寒の冬の日に、こんな隠れ家でぬくぬくと暮しているのは、最高のきぶんだろうねえ」

む「ふゆは、極上の毛布にくるまれて、すやすや、ぐーぐーしている時がぼくは最高にしあわせです」

父「子ねずみ年うまれだけあって、まさにねずみきぶんだな」

最初はたくさんたべものがあって、ばかな狐やおろかな猫の話をして興ずる、幸福いっぱいの野ねずみ一家。しかし、ちょっとづつ、ちょっとづつ、齧かじっていたら、木の実や果実もおおかた平らげ、わらは消え、とうもろこしなんて、ラスト・メモリー。石垣の中はつめたく、だれもおしゃべりなんてする気がしません。そのとき、フレドリックが、そうそう、おひさまの日差しや色彩や詩句がどうこう言っていたのをみんな思い出したのです。「きみのたくわえたものはどうなったんだい? フレドリック」と訊きました。

目を閉じて」とフレドリック。大きな岩のうえによじのぼって言いました。「今からみんなにおひさまの日差しを送るから。感じるかい、日光の黄金のかがやきを?」 フレドリックがおひさまの話をすると、四匹の野ネズミは、あたたかみを感じ始めたのです。これはフレドリックの声のせい? それとも魔法?

「きみの蒐あつめた色彩はどうなったんだい?」みんな、フレドリックにせまります。「また目を閉じて」とフレドリック。フレドリックが日日草(periwinkle)の青、ケシ(poppy)の赤、小麦の黄色、野苺の葉の緑について語ると、みんなのあたまのなかにあたかも絵の具が塗られたかのように、ありありとその色彩をみんな、目の当たりにしました。

「詩句は?」とみなから求められてフレドリックは、コホンと咳払い、ひといきの静寂のあと、舞台の上の役者のように朗唱します。

こなゆきを吹き散らかしたのはだれ? こおりを溶かすのは? せっかくの天気を台無しにしたのは? あるいは絶好の好天にしたのは? だれが六月の四つ葉のクローバーを育てたの? 昼の日差しを弱めるのは? 月を照らす者は? それは、そらにすみかをもつ四匹の野ねずみ。そなたたちのような四匹のねずみとこの私。春ねずみは春雨をふらせる。夏ねずみは花にいろをつける。つづく秋ねずみは木の実と小麦をもたらす。冬ねずみは最後に来る者。ちいさなその足は寒さでかじかんでいる。季節は四つでしあわせだ。三つの季節しかない年を、五つの季節をもつ年を想像してごらん、まっぴらだ!

む「大演説ですね」

父「西欧ってのは、演説の文明なんだなあってのは、アル・パチーノが出た『セント・オブ・ウーマン』という映画でもよくわかる」

む「なに、それ?」

父「今度見てみよう」

フレドリックがはなしおえると、みな拍手喝采。「じつに、きみは詩人だ!」

顔をさっと赤くして、お辞儀。はずかしそうなフレドリックのひとこと。「まあね。天職だから」

む「ああ、面白かった! 最後の、天職って?」

父「一流とよばれなくても、天分てんぶんってのは、やはり、あるのさ。おしえてもらって、わかるというのでは、遅いのサ。そういう奴は、いつまで経ってもわからない。わかる奴は話す前、とうからわかっているというのが天分てんぶんさ。人生の要諦は、じぶんに天分があたえられた職業、ツマリ、天職に就く、ということにあると思うね。おとうさんの病院にはいっぱい人が来て、その理由はじぶんが「うつ」だと言うのだけれど、わかいひとの場合、じつは、じぶんに合った仕事についていないということがたいていなのだ」

む「ふうん」

父「おまえは医者になるかい?」

む「わからん!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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