昭和歌謡曲厳選(1)

総合病院に勤務していたころ、小医は病院広報誌に月々エッセイを書くしごとを与えられていた。そのタネのひとつに準備していたものに「昭和歌謡曲厳選」があって、ために、キング、コロムビア、テイチク、ビクター、ユニバーサルの5社が共同制作した「青春歌年鑑」シリーズを蒐集していた。このタネはエッセイに結びつくことなく、蒐集されたCDはわが書庫にむなしく死蔵されてきたが、さいきん、ひょんな気分がふしぎにまた湧いた。私には小さいころから自分の生きている時代を厭いとい、知らぬ昔を慕うくせがある。

レコードを吹き込んで売るという商売は、本格的には、昭和2(1927)年ころから始まって一気に大衆化したもののようである。ツマリ、歌謡曲の歴史は「昭和」と共に始まった。「歌は世につれ、世は歌につれ」と宮田輝(1921-90)は名句にまとめたが、無数の歌がその時代に埋没した。時を超え今(2022年)もなお人の心に響き得る歌は当然少数派で、それに値せんと思われる歌を厳選してみたのが下記である。「厳選」版から漏れるが、漏らすに惜しいと思われるものは「補遺」版とした。

(1)昭和3年~昭和19年敗戦前

厳選版

補遺版

二村定一(1900-48)は性的な妖しさを感じさせずにおかぬ容貌だが、深くは尋ねるまい。鼻が長く、シラノ・ド・ベルジュラックになぞらえて「べーちゃん」と呼ばれていた。当時の流行歌手、佐藤千代子の「東京行進曲」は今や聞けたものではないが、二村定一の「青空」は今も聞く者の心をあたためる。「せまいながらも楽しいわが家」。日本人が大好きなこのフレーズの出典が、じつはこの歌にあることを知れるだけでも一聴に値しよう。

「雨に咲く花」は戦後、井上ひろし(1941-85)によって再ヒットするが(昭和35年)、スナックバンドをバックに流しの男の声では到底だめである。やはり、コンチネンタルタンゴの調べに乗せた関種子(1907-90)の澄んだ声でなければならない。戦前曲のリバイバルで最良のものは「君恋し」(昭和36年、フランク永井)だろう。戦前に歌ったのは、二村定一である。

古賀メロディーは、なんといっても昭和6、7年に大ヒットした「酒は涙か溜息か」「影を慕ひて」に指を屈するべきなのだろうが、この2曲がもつ暗さはしかし尋常ではない。軽快な明るさの中にいくぶんの哀しみを滲ませる「東京ラプソディ」を戦前の代表曲としたい。藤山一郎(1911-93)は裕福な実家が左前になり抱えた巨額の負債を「東京ラプソディ」のヒットで完済することができた。

淡谷のり子(1907-99)は、小医のこどものころの記憶では「歌番組でイヤミを言う容貌魁偉のオバサン」でしかなかったが、直言をおそれない正直の人としてもっと敬意を払われていい人だと今は思う。青森の人。芸名は実家の大店おおだな呉服店「大五阿波屋」にちなむ。この人も藤山同様、実家の没落で歌の道に入った。戦時慰問では軍人の強要するもんぺを拒んだ気骨の人。「そんなものを歌手が穿いて誰がよろこぶと思うの」という淡谷の貧乏ぎらいを小医はまっとうなセンスと思う。いまの時代もなお「ケチ」を至上の美徳と心得顔の大衆を私はにくむ。

「別れのブルース」「雨のブルース」「一杯のコーヒーから」「蘇州夜曲」、これらはいづれも服部良一(1907-93)の曲で、すばらしい! としかいいようがない快作である。これらがなぜ名作かというと、同時代の俗な曲とならべてみればすぐわかる。一聴して「とび抜けている」のである。「格」が違う。俗なものとは、一見よさそうに見えるが、煮ても焼いても食えぬ、所詮はだめなものである。しかたがないから50点をつけているのだが、事実をいえば零点しかつけられないものが、俗である。この点、名曲はいつもスカッとカラリ屹立きつりつして、他を寄せつけず、ひとりだちしている。かくも芸術の世界はきびしい。

渡辺はま子(1910-99)は横浜うまれ横浜そだち、終生横浜を愛した人。だから「はま子」。ひとこと、声がいい。うっとりさせられる。歌手の命は声にある。声は世の中にたったひとつしかない「生きた楽器」。魅力ある美声なしに歌などとうてい聴く気になれない。声がだめな戦前の歌手と言えば、それは、なんといっても、ディック・ミネ(1908-91)である。私の好き嫌いではないと思う。ヒット曲は多いが、どの曲を聞いても、なんでこれでヒットしたのか、ふしぎにへたである。

戦後のフランク永井(1932-2008)に匹敵するほどの、男の美声はなんといっても霧島昇(1914-84)だろう。「ミス・コロムビア(松原操 1911-84)」は夫人。「一杯のコーヒーから」以外のふたりの大ヒットは、いわずと知れた映画『愛染あいぜんかつら』(昭和13年松竹。原作、川口松太郎。名門医院の二代目院長と連れ子のある看護婦の恋愛メロドラマ。美男美女の上原謙、田中絹代主演。田中絹代の可愛らしいこと!)の主題曲「旅の夜風」。「花も嵐も踏み越えて」という西條八十(1892-1970)の美文は一度聞くと忘れられぬ。「誰か故郷を想はざる」の詞も西條八十、曲は古賀政男(1904-78)で、小医はこれをなみだなしに聴くことができない。聴けばかならずなみだする。これは理窟を超えている。

以前の記事で、映画は喜劇(コメディー)を最上とし、音楽は悲劇(トラジディー)を最上とすると小医は書いた(「世界の果てまで連れてって」)。ふるくチャップリン(1889-1977)の映画は、「考える」以前の反射的、けいれん的笑いを身上としているように、ふるい時代の歌謡曲は、詞・曲・声が一体となって聴く者によび覚ます本能的なかなしみの情から「理性をこえて」湧いて出る、ふしぎのなみだを明確な標的としているもののようである。

全160曲もあるが、今の時代もくりかえし聴くに耐えると私が感じて選んだものは21曲。

 

 

 

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