人生とはなにか?

前回、病院勤務医だったころ、病院の広報誌にエッセイを書く仕事をしていたと書きましたが、その第1回を書いたのが平成22年の6月で、あれからもう12年も経ってしまいました。

きちんとした文章を書けるのは、きちんとした大人ならあたりまえのことと思って、高校生時分から文章には精進を重ねて生きてきましたが、それに何の意味があったのだろうと今は思っています。文章を書くのは、第一、お金がかかるのですね。テーマを決める。それに合わせた格好の話題を書物や映画、音楽、絵画、旅行など、ありとあらゆるところからかき集めてくるのは実に手間と労力のかかることで、むだづかいの典型ですね。よい効能には、考えがまとまるということがあります。ほんの上澄みだけでも、それらの勉強から得た果実として、知識が定着しますので。おもしろい文章が書けると、おりにふれ、くりかえし読んで味わうたのしみができるのもいいところです。いけないのは、文章にいかしきれなかった資料の膨大な山があとに残ることです。さいきんは、じぶんの人生の残り時間をかんがえて、必要のないものは片づけています。はやく老後の「閑暇」を得て、書物だけ読んで過ごす時間が得たいものだと念じているこのごろです。政治や経済、学問など世事の大概がじつはむだ、なきもがなのことばかりで、最後に唯一無二のなぐさめとして残るのが人生無益の烙印をおされている「文学」とは皮肉なことですが、おもしろい人生の真実だと思います。

談話室 第一回 人生について 閑居小人

風の松原註 能代市にある歴史ある防風林を散策した帰り、居並ぶ寺門もついでに寄ってぶらぶらしていたら、門前の掲示板に小さな花にも手を合わせよとかありがたいことが書いてある。そんな中に「食わなければ死ぬ」と書いた寺がある。ほう、と続きを読むと「しかし、食っても死ぬ」とある。ずいぶん人を食ったことをいう坊主だと思った。

昔欧州にはアナトール・フランスといって、かの芥川龍之介も私淑した文筆家がいた。芥川はその真似をして、人生とは何か、小粒だがピリリと辛い山椒のような警句をいくつか残している。その中で人口に膾炙かいしゃして有名な一つに「人生はボードレールの一行にも若かない」というのがある。詩や藝術よりも明日の生活のために生きている世間の大人は鼻で笑うが、多少小生意気なことを言いたがる年頃の中学生や高校生からはいまも人気が高い。

本家のフランス先生はもう少しましなことを言って、きまじめな学校教師あたりからは評判が好い。いわく「最も短い人生の日記。生れた。苦しんだ。死んだ」。人生の本質を一言で言い尽くしていると大絶賛である。

少々気が滅入る。と思うのは私ばかりではない。今は亡き脚本家の向田邦子もそう思った人のひとりで、妙味にかけるという。向田は子供のころ、お祭りの夜店であやしい講釈を聞いて、家に帰って面白いからと親に話したら、みるみる血相を変えた親からは二度と口にしちゃいけませんと叱られたという。いわく「入レマシタ。出シマシタ。出来マシタ。死ニマシタ」。

房事ぼうじぬきに人はない。人生の本質に肉薄して、悲哀の味もこちらのほうが勝ると思うのは私だけだろうか?

話変って、仄聞そくぶんするところによれば、弁護士には三つのWがあるという。訴状を書く(Write)。裁判所まで持って歩く(Walk)。そこでいろいろ待たされる(Wait)。いらいらしてはいけないと言う。

思えば、人生は、待つことに始まる。赤ん坊は泣きわめく。お腹が空いてもすぐにはかなわない。「ハイハイ、おっぱいでしゅね~。待っててよ(笑)」。飢えが満たされれば、次はおむつを脱がせろと泣く。「ハイハイ、きもち悪かったでしゅね~。準備しますよ、待っててね(笑)」。迫る旦那は肘鉄をくらう。「この子が寝付くまで、待てないの!(怒)」

《私ハ待ッタ。時ノ実リヲ》

各科外来では今日も診察の順番を待つ患者でいっぱいである。こんなに待たせて、とむやみに口をとがらす患者もいるだろう。いじわるをして「いやあ、待つことは人生の本質なんですよ」とスカしたことを言ってみたいが、首をしめられるかも知れない。よしておこう。

 

 

 

 

 

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