浮薄を嘆く

精神医学をまなぶ(1) 2021.4.30. 浮薄をなげく

 精神医学とか心理学とか、そういうことについて思い出すのは、梅田の紀伊国屋書店である。大阪の高校生だった私にとって、大きな書店といえば、梅田にある紀伊国屋書店と旭屋書店ぎりしかなく、そこに山と積まれた、「精神分裂病」だの「精神分析」だの「ラカン」とか「フロイト」といった文字が入った「みすず書房」やら「弘文堂」やらの本を若い人たちが、男も女も、手に取って喰い入るように読んでいた姿である。

 十七歳ころの私にとっては、すこし驚異に映ったことで、なぜか今も脳裏を去らない一場面となっている。

 私も進んで手に取ろう、とはしなかったから、受け止め方はむろん否定的に傾いていた。心理学などは、軽蔑すべき学問であり、「いったい、なにゆえに、若い人がそういうものを青春の貴重な時間をかけてまで読もうとするのだろう?」と考えていたように思う。

 二浪して東大に入ったら、フロイトにかぶれているのがいて、バカなヤツと思った。しばらくしてフロイトは実はでたらめだったとそいつが言い出し、これでもかこれでもかとフロイトをあげつらうようになったから、ますますあわれに思った。「エディプス・コンプレックス」とか「エス」とか「イド」とか、あきらかに普遍の事実に基づくとは到底思われない「理論」から出立している議論が真実を構成するはずがないのは、小学生でもわかる理窟である。私は今以て、フロイトを一行も読んだことはない。

 そのころ京都では産科医の息子がフランスの「現代思想」を紹介して、「スキゾキッズ」だの「精神分析」をからめて資本主義を批判する(?)とほうもない屁理屈を説き、口をひらけば「ポスト・モダン」とたわごとをほざく東大や京大の若い知的俗衆を煙にまいていた。ラカンとかいうフランスのフロイト流精神科医のいったい何のことを言っているのだかさっぱりわからない言説もさかんに紹介されている頃だったが、ひとこと、「オツムはカラッポ」としか言いようがない風潮であった。もちろん、一般の精神科臨床医は、これら「精神分析」の議論をたわけと一蹴している(例、岩波明「有害」、笠原嘉「実益がない」)。

 精神医学や心理学を学びたいと思っても、それを妨害する性根のわるいツタやツルの手合いがいくらもはびこっているのは、じつに困ったことである。かれらは今にいたるもまるで反省なぞしていない。

文献

1 岩波明『やさしい精神医学入門』(角川選書、2010年)96-8頁

2 笠原嘉『精神科と私』(中山書店、2012年)135-149頁

 

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