「京都」をテーマにした歌謡曲といふのは、むかしには、渚ゆうこの「京都の恋」とか(昭和45年。作曲は私がだいすきなベンチャーズ。当時から「国際化」してゐたんですな)、歌詞に例の、京都大原三千院が出てくる、デューク・エイセスの「女ひとり」(昭和40年。作詞は永六輔。お寺の人だけあつて、歌詞は京都のお寺を三つ取り上げてゐる)が、ゆうめいですが、ちかごろ、といつても、ずゐぶんと古くなつてしまひましたが(1995年)、当時大ヒットしたJUDY AND MARYのKYOTOを、私は推します。
演奏がいゝですわな。暗すぎはしないが、ダークな雰囲気がある。私は、音楽は悲痛なところがあるものがすきで、けつして明るい曲をこのみません。小さなちいさな音から始まつて、ズシンと響く演奏へつゞく。しかるに声はgirlishでカワイイ。この対比が意外さを産んでゐて、その点、おもしろみがある。
歌といふのは所詮メロディーだとは思ふ。しかしヴォーカル(YUKI)は世界に一台しかない楽器なだけに声の魅惑はけつして軽視できないし、長く愛聴されるためには歌詞も、重要である。いま『大学への数学』9月号の「学力コンテスト」を解きながら(3題中2題まで解いた)、JUDY AND MARYのこの曲をくりかへしくりかへし聴き続けてゐるのだが、やはり、いゝなあとおもふ。歌詞は、散文としてはまるでなつてゐないのだが、恋に関する優しい「詩語」がこれでもか、これでもかとちりばめられてゐるのは、がさつな曲の多い日本の歌謡曲のなかでは、珍しいことである。
「逢ひにいくわ」「いくつもの朝」「花のさく頃」「流れる雲」(ボードレールを始め、これをうたはない詩人はゐない)「深く眠る」(死やセックスに伴う眠りを暗示)「あなたの声を忘れないやうに」「春の夢」「桃色の宴よ 桜の花よ」(この歌の歌詞の白眉。ほんたうに泣ける)「つないだ手と手を」「雨あがり」
作詞家(TAKUYA)はがさつな人ではない。さういふ人にかういふ言葉はけつして選べないからである。






