私が、旧仮名遣ひで文章を書いてゐるのを、怪訝けげんに思つてゐる向きもあらう。
私が、旧仮名遣ひで文章を書いてゐるのは、もう亡くなつた丸谷才一のせゐである。
丸谷は、ちつとも面白くない小説を山ほど書いても、石川淳の権威だか何だかをかさに着て、妙に威張つてゐた男で、日本語についても、あれこれうるさいことを言つてゐたが、東大は出ても、実態は、山形の田舎出の目の細い醜男であつた。日本語について語れるのは、江戸の昔を知る東京出身者か、日本語の本家本元、上方出身者にかぎるといふのが不文律のはずなのに、丸谷は平気でこれをやぶつたことになる。なまいきなことよのう。げに田舎者とはこのやうな者のことをいふのである。
しかし、そんな男でも、高校生で文章に志をもつてゐた少年には、その歴史的仮名遣ひ論は、絶大なる影響をあたへて、今に至つてゐる。
この仮名遣ひの何がいいのか?
ひとつにもふたつにも意地である。日本は敗戦を機にアメリカ進駐軍の言ひなりになり、漢字も、「常用漢字」とかいふ、赤い中国共産党発明の「簡体字」まではいかないがその手前のものを発明し、旧字を廃して今に至つてゐる。ひらがな表記までさうなつてしまつた。ぜひともさうすべき理由根拠がどれほどあつたといふのか? 日本の国民や政治家、教師、学者、官僚どもの意気地のなさへの憤りは爾来、さう私ひとりが憤怒に燃えずとも構はない筈なのに、聖火リレーの聖火のやうにわたしの心中に根深く植え付けられてしまつた。丸谷の影響のせゐである。現在、漢字で昔からの「正字」をまもつてゐるのは、臺灣一国あるのみである。あがめるべき國であらう。
みっつには、そこはかとなくただよふ優美さである。戦前より昔であれば、どの日本文学とも、綴り方が基本的におなじなので、歴史的連続性を感じることができる。といつても、よくよく勉強すると、現在の「歴史的仮名遣ひ」とされてゐる「つづり」がどの時代にも通じてゐたか、といふと、実はそれは違ふので(それは日本史の書籍などで、「古文書」の写真などがついてゐるのを読んでゐると、簡単にチョコチョコみつけることができる)、綴り方の正否は絶対ではない。これをわすれた人が、正しい、まちがい、とか議論してゐるのをたまに見かけるとその愚を憐れまずにはゐられない。
となると、仮名遣ひなど、もう、どうでもいいではないか? といふことになりさうだが、実はさうなのである。もはやどうでもいいのである。私もこの世にあと幾年いくとせ過ごすのであらう? それを想像すると益益その考へに傾いていくのであるが、好んで今の仮名遣ひで書きたいとはやはり思はないのである。
由来、来歴を知らずとも平気な人を大衆といふと、仮に定義すると、私は大衆ではないし、どういふものか、小学生時分から、私は学校の教師と彼らが教導する民主主義(共産主義?)を心底憎んでゐる。或ていど長く生きてきて、私の好む政治的信条は、強いていふと、自由主義だと思ふに至つたが、それも道理である。個性を基調とする自由主義に必ずしも学校は要らないが、平等を善とする民主主義には必ず学校が要るのである。なぜ? こどもを洗脳するためである。戦前の軍国主義と戦後の民主主義は違ふという。さうか? 真っ赤なウソだらう。





