きのふは、息子と、旨いもの、食つてきました。
む「けふはどこ行くの?」
わ「黙つてついて来い」
御池通をわたつてすぐさ。おまへは味にうるさいから、文句の出ないやうに日本料理にしてあるよ。ども。竹ざき、といふ家さ。家? 店ぢやないの? 昔、芥川龍之介なんかは、店といはず、家と言つてるな。へ~。さすが、百年前の人だけありますね。さうさ、お父さんは古い人間だから。ホラ、着いた。こゝだ。
む「お、なんか、すごく狭い。へ~。でも、きれい」
わ「もう、おまへも17歳だし、ちよつと、オトナな感じのところにしてみたのサ」
ほりごたつのカウンター席。アメリカ人カップルが相席。こつちは父子で、御主人のお出迎へ。「らつしゃい」
最初の突出が何の料理だつたか、思ひ出せない。…あゝ、今思ひ出した。炙った鯖鮨であつた。これが絶品。あと甘辛い角生姜が。息子は生姜に鼻をちかづけて、いやな顔をしてゐるが、黙つて食べろといふと、ぱくッとやつて、「ん、旨い」。食べ終はると息子が皿を返して裏をみて「太郎つて書いてあるよ」と。
皿の柄が、伝統的な松には不似合ひな現代の信号機。これは…現代日本画家の山本太郎作では? と思つたら、果してさうでした。御主人が画集を出してくれる。遊びごゝろなのだらう。
む「これ、本名なのかな?」
わ「確かに。出来すぎだから、筆名かもね」
次が麦わら手に入った茶碗蒸。白子に炙ったねぎのきざみが入つてる。
む「白子つて…」
わ「目をつむつて、ぱくつと丸呑みしてごらん。旨いから」
む「! 白子にこのネギがとても合ひますね」
わ「さうか…」(かういふ、私がなんとも思つてゐないところで、息子は鋭敏な味覚を発揮します)
こゝは日本酒も旨いです。滋賀と京都のグラスで飲めるものは全部飲んでみましたが、通常の日本酒の味をとびぬけてゐるので吃驚です。
次は根来(ねごろ)の碗に入つたお吸い物。松茸もりだくさん。うまい、旨い。おいし~。脂身たつぷりの赤いお魚と。
わ「みごとなお椀ですね」
ご「ありがたうございます」
わ「よくかういふお椀には、霧がふきかけてありますが、あの、これはどういふ意味なんでせう?」
ご「あゝ、sealですね。封印といふか。誰にもお見せしておりません。あなたゞけに作りましたといふ、そんな意味です」
わ「ほう。成程なるほど。前からハテナ、と思つてをりましたので」
む「お父さん、勉強になつたね」
次は鮪、鯵、数種のおつくり。器は、真中に赤の双魚。周りには青の囲いに赤で描いた菊をちらしたお皿。
わ「この花は、赤で描かれてゐるが、これはどうも菊だな。かういふ図柄は大きなお皿になると、大名の贈答用によく使はれたんだな」
む「それより、お魚、おいしいなあ」
ここでも御主人が魚類図鑑を差出して、どうぞと。なにやら、勉強になる料理屋です。
あと、料理はこっぺ蟹(器は柿右衛門)、ホタテや蟹の身がたつぷりつまつたジュレ(器は大漁の網目文)など。息子は大満足。デザートは甘柿を半分に割つたうへに砂糖をかけてブリュレにしたもの。へ~。デザートの焼酎は、バカラのクーペに注いで出してくれました。さすが。
わ「柿のブリュレとは、よく考案されましたね」
ご「なんの、こんなの、朝飯前です」
わ「サテ、来年、大学はどこ受けんの?」
む「京大を受験しようかな」
わ「京大。よく言つた。Well said, well said. むろん、それでいゝと思ふけど、学部は? 問題はそれだな」
農学部。なんで? いやあ、食は人間生活の基本だから、食品会社に就職するのもいゝかなあと思つて。味の素とか? えへゝ。だけど、理系だと、修士くらいまでは勉強するから大学院に行つて研究するとなると、悪い教授にあたると、いぢめられるぞ。え? お父さんのともだちは農学部卒業して医学部入り直してるし、医学部は研究なんかしないとなると、そんないぢめがないし、カネは稼げるから、何にも考へずに済んで、寧ろラクチンかもよ。う~ん。だけど、お父さんは、理学部の数学科なんか、おまへにはいゝんぢやないかと思ふんだがね。
む「え。どうして?」
わ「おまへは数学が得意だからさ。医者なんて労働者だし、しんどいだけだ。母校で数学なんかのんきに教へて、楽器もやつて、遊んで暮すほうが遥かにいゝかも、と思つてね」
む「ふ~ん」
わ「日本社会は、今後が全くみえなくなつてきてゐる。AIが出て来て、これが賢く仕事をするから、そのうち、コンビニや飯屋、いろんな店の店員は、みんなスマート・ロボットになる。医者だつて要らないとかいふことになると、オマヘタチ要ラナイといはれる大衆たちはどうなるんだろ? そだな、学校の教員も要らないとなれば、やつぱり学校の先生は、ならずにおくか」
む「わからなくなつてきました」
さうなんだよ。とにかく先立つものはカネだから、資産家になるに限る。これから貧富の差の拡大はますます進むぜ。AIが普及すればそれに反比例してにんげんは益益自分の頭で考へなくなるから、バカは無限大に増殖する。
む「アハハハハ!」
わ「お父さんは、人生で初めて、わが国のゆくすゑを案じてゐるよ。どうにもうまくいくものとは到底おもへない。杞憂に終はればいゝのだらうが、私の勘は当たるからな」
む「おとうさん、美味しいものを食べてる席で、心配はご無用ですよ。まあ、一杯いきませう」
後記)わたくしは、むすこの農学部志望のいみを汲み取つて遣つてゐなかつたのではないかと今頃気づいた。さう、むすこの生来の武器は「舌」にあるのである。わたくしはこの子が、3歳の時から、「味覚のエリート教育」と称して、誕生日毎に、京大和、菊乃井、乃し、竹茂楼、平八茶屋などに連れていつた(日本料理以外では中華料理。西洋料理は子供ではむつかしからうから。日本料理では、祇園の花咲に連れて行つて舞妓さんに部屋でをどつてもらつたことさへある。今は実に残念ながら廃業してしまつた、創業90年以上の京中華、知る人ぞ知る、蕪庵に連れて行つて遣つたことも今やなつかしい思ひ出である。むすこはわたくしと同じく畳の和室が大好きで、その点からも蕪庵の座敷を気に入つてゐた)。言葉に長ずるにつれ、むすこは料理の解説をするやうになつた。(笑) 北山にある乃しで言ひ出したおつくり評はいまだに忘れられない。「このヒラマサのおつくりは、さう、歯ごたへが何ともいへない。脂身とのバランスが絶妙で、脂身もネチャネチャしてをらず、サラッとして、とても美味しい。料理人の包丁のさばき方がいゝのかも知れない」。誰におしへてもらつたのでなく、その時に食べた感想をそのまゝ口に出してみたといふ感じで驚嘆した。これが小3か、小4の時。平八茶屋でも「この甘鯛のおつくりは、最高ですね。甘くねつとりして、ケチのつけやうがない」と。私「だつて、さういふ店だからな」。む「さうなんですね」。いはゆる土瓶蒸しを生まれて初めて食べたのもこの店だが、スダチを絞つてかけたあと息子はかう言つたのである。「う~ん。スダチの酸っぱさは、ぜんぶ下にある松茸が吸収して、表面のスープにはスダチのいゝ香りだけが残つた」。こんなこと、小学5年生の子が言へますか? ちいさいときはもつと凄くて、ハンバーグの中に胡椒がまじつてゐるから食べられないとか、お好み焼とか焼きそばとか、庶民がすきな食物は、ぶつかけてあるソースの刺激が強すぎて、とても食べられないとか、ほざいたのである。わが息子ながら、この子が旨いといへば旨いのだらうし、まづいといへばまづいのであると確信してゐる。だから、息子が農学部に行って就職した食品会社でおいしいものを開発することに貢献できたならば、それは必ずや、世の中にとつて、いゝことなのである。がんばつてくれ。因みに、大阪にはふつうの値段でとびきり美味しい鮨を食はせる店は、いくらでもあるのに、京都にはあつても高すぎる、京都のくせに江戸前とかばかげたことをぬかす店しかないが(特に祇園あたり)、息子がいつさい文句を言はず、うまい旨いといふ江戸前があつて、名を武鮨といふ。こゝはフツーの店がまへでありながら味は極上といふ点で、大阪に似てゐて、私が数寄な店である。御主人も実直でとてもいゝ人なので、興味がわいた方はどうぞお調のうへ足をお運びください。






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