つれづれ草 鴨武彦先生の思ひ出

このブログは、私の気ずい気まゝに書いてゐるもので、他から指図を受けて書いてゐるわけではない。漠然とした目的があるとすれば、心療内科・精神科においては、医者と患者の相性が肝心だから、わたくしといふ人間がいつたいどういふ人間か、周知してもらふことが大目的である。そのためにいろんなことを思付いた時に書く。さいはひ、私も兼好法師くらゐには文章が書ける。正につれづれ草である。けふはその趣をさらに究めたい。

つれづれ草と書いた。現代は徒然草などと漢字で書く習ひになつてゐるが、江戸時代の写本などではたいてゐ、ひらがなになつてゐるやうである。冒頭本文もひらがなで書かれてあるのだから、さうしたほうがいゝと思ふのに、漢字で書く風がひろまつたのはいつたい誰のどういふ料簡からなのだらう。

この「徒然(トゼンと読む)」の謎をふくめ、兼好法師、つれづれ草の話については「へ~」といふ話が沢山あるのだが、けふはそんな話が専らしたくて書き始めたのではないので、ひとまづ措く。

人のなきあとばかり悲しきはなし (第30段)

人の記憶といふものは、フトした会話の流れのなかに水中から再び浮びあがつてくるあぶくのやうなものである。昔わたしは法学生であつた。「どうして、あなたはお医者様になつたの?」と訊かれることがあつて、こんな話をした。

だいたい、私は怠惰な学生であつて、授業は数へるほどしか出なかつた。法学が私に向いてゐないことはせつかく苦労して東大の文科一類に合格したのに、『法学概論』という元最高裁判事、元東大刑法教授の団藤重光が書いた入門教科書、その最初の数行を読んだだけで知れた。これは、まづいところに来たな。さう思つた。逃げようと思つた。しかし、もう後がない。さいはひ、おれは頭がいい。これもナントカなるだらう、と高をくゝつた。しかし、それが人生最大の過ちになつた。いくら勉強しても頭に入らないのである。憲法はさすがに「優」をもらつたが、民法、刑法など法律科目は、せいぜい「良」で、ほとんどは「可」で通過した。司法試験の本筋でない科目は、まあまあできた。英米法などは、伊藤正己・元最高裁判事、元東大憲法教授以降、人材がなかつたため、同志社大学から東大教授に招かれた先生があつて、この先生は私に優をくれた。授業もまあまあ面白い方だつた。アメリカの弁護士が、法廷で、いかに被告の発言が虚偽か、わなにかけて自供させる、面白い話をしてくれたのを今に憶えてゐる。

政治学なんぞにも興味はなかつたが、単位をとるために「国際政治」といふ科目をとつた。この担当教授も、早稲田大学から東大教授に招かれた人であつた。その初回の授業で、ふしぎな思ひにさせられたこともいまに忘れない。「カール・シュミットなどといふ人はですネ、政治なるものゝ概念といふ本を書いてですネ、黒板にそのドイツ語が板書してあつた わたくしも熱心に読んでみましたけれども、イマイチ実際的ではないと思ひます。国家間の外交は、友・敵といふ概念だけでは処理しきれない。国家、これを横文字でnationとかnation-stateなどと呼んでゐるわけですけど…」といつたやうな講義冒頭だつたのだが、わたしは単純に愕おどろいた。「わたしは人間ひとりがわからないと悩んでゐるといふのに、この人は、人口が何千万、何億とゐる「国」といふ単位から議論を始められるのだ。いつたい、どのやうな脳みそをしてゐるのだらう」と。

その後、私が明確に自身の法律学不向きを自覚するまでには相当な時間を要したのだが、この上記の愕きをその瞬間に深められたら、私の人生も相当変つたらう。医学部で「疫学 epidemiology」(集団統計学のこと)といふものを習つたとき、講師を勤めてくださつた臨床のお医者さんに、かういふ場合、診断はどうなるんですか、治療はどうなるんですかと質問したら、みんな苦笑ひをするか、すこし腹を立てたやうな顔をして(医者はおこりんぼなものである)、「データでは慥たしかにさうなんだが、じぶんの目のまへにゐる患者がほんたうにさうか、どうか、そんなことは、神のみぞ知る、すぐにはわかるもんかい」。アハハ。こんな発言を聞けば「無責任だ」と怒る人があるかも知れない。しかし、私はこの回答を聞いて初めて莞爾かんじとしたのである。じぶんが、人間十把一絡げの法律学や政治学なんぞには向かず、個人一人一人に目を向ける医学にこそ向いてゐる理由の一端が知れたので。

よのなかは、おろかな人が多く、法律学や医学の「底の底」にこのやうな「深い深い基礎」があることを知らない。なにも知らないで表面的、かつ軽薄なことばかり言つてゐる。だからわたしは、くりかへしいふが、おろかな大衆をにくむ。それに迎合するやからをもつと憎む。

私に自己内省の機会をあたへてくれた、四角い顔の国際政治の先生は、「私もながらくじぶんの著書を書いてこなかつたんですが、つひに書き上げましたんで、よかつたら、図書館で借りて、学術書は高いですからネ、読んでみてください」と最後の授業を結ばれた。わたしはもちろん、本郷の書籍売場に立寄つて贖ひ、一晩徹夜して読破し、試験を受けた。一所懸命、答案を書いたせいか、結果は「優」で、これは単純にうれしかつた。

その後、先生はニュースステーションに不似合ながらも出演したりしてゐたが、私の卒業後まもなく若くして亡くなられてしまつた。享年54歳。名を、鴨武彦 先生といふ。あのころ20代前半のわかものだつた私も、たうに先生のお齢を超えてしまつた。あゝ。

 

関連記事

  1. Looking for a French Style of Elega…

  2. 医師という職業について

  3. アリとセミ(2)

  4. 干支置物

  5. 紅茶の後

  6. QUATRO

コメント

  1. この記事へのコメントはありません。

  1. この記事へのトラックバックはありません。

このサイトについて

京都市中京区蛸薬師 四条烏丸駅・烏丸御池駅近くにある心療内科・精神科クリニック「としかわ心の診療所」ウェブサイト。診療所のこと、心の病について、エッセイなど、思いのままに綴っております。
2025年11月
 12
3456789
10111213141516
17181920212223
24252627282930

カテゴリー