a tiny world.
ちいさな世界というものに、あこがれます。
というか、ホッとしますね。
漢籍のことばでいうと「壺中天」。
そこは、世間の荒々しさから守られているのです。静寂ないし慰安がその世界にはあって。じっとしていられるというか、ぬくぬくとしていられる。その世界ではわずらわしいことが一切なくて、すべては平和で友愛にみちていて。「永遠」というものに繋がっている。
いつからか診療所では、「小物」をたいせつにしています。
そうすると気づくことがあったのですね。小物のあつまりによって構成されるちいさな世界には「癒し」の効果があると。
京人形など、昔から人形が愛されてきたのもそういうわけなんでしょう。
精神療法で「箱庭療法」などがあるのも、同じことなんでしょうね。「ちいさな世界」を作ることは、じぶんがそこでくつろぎをえられる、こころの平安をつくりだすことと繋がっているわけです。
そういう意味でいうと、一輪挿しの「技法」も、同じことなんだと、気づかされます。
私は「一輪挿し」はさびしくて貧しくて好かぬと長らく思ってきたのですが、この四年間、花を飾ってきて、だんだん、利休さんのこころもちがわかってきたように思っています。
一輪挿しにすると、人は、花をよく見るようになるのですね。
集中力を誘う「装置」なのです。
どうして集中力を一輪挿しは誘導するのか?
それは一輪挿しにされた花と花器が独立した「ちいさな世界」をかたち作っているからだと、今はヨリ進んだ答が出たと思っています。
これは理窟ではけっしてえられない答で、経験からしか導き出されないものです。
ひとは得てしてじぶんのことがよくわかっておらず、無意識のまま何かをしていることが多いのですが、じっくり時間をかけてみると、じぶんの求めているものがどこかで繋がっていることが見えてくることがあると思います。
花器をあらかたあつめ終って小物あつめにいま小医の関心は移っていますが、なんのことはない、「同じこと」をしているだけだったのです。
同じこととは、「ちいさな世界」をつくること。
…ちかごろは、多くの方から、ブログを楽しみに読んでいますというお声をいただくことが増えて、驚いています。それで本日はすこし内容のあるものを長めに書いてみました。今年は「花鳥風月」ばかりでなく、しばらく放置されたままの「精神医学」に関する記載もまた改めてスタートさせてみようかなと思っています。
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