うすはり

「うすはり」と聞いて、ピンと来る人は、わたくしと何事かを語れる人である。

命名は、「薄い玻璃(はり。ガラスの意)」から来ているのださうだ。大正11年(1922年)創業、松徳硝子製。長らくわたくしの好みで、10数年以上大事にだいじに使つて来たのに、先日、たうたう割れてしまつた。命あるものは必ずやこの世から去り、象かたちあるものはいつか滅す。とはいへ、しばらく、沈んでしまつた。

いゝものを普段から使ふことには必ず徳がある。一流の家にあがつて、臆するといふことがなくなるからである。この薄玻璃グラスは一級品である。一流の料理屋は、必ずこれを出す。松徳硝子製でなくても、これに肩を並べるものを出す。わたくしは、当然のやうな顔をして、グラスに手を伸ばすことができる。

薄玻璃グラスでこれよりも薄く、藝術的感動と言ひ知れぬ官能を与へるものといへば、わたくしは、昔昔のこのブログで紹介したことのある、ロブマイヤーN.4以外に知らぬ。これ程可憐で美しいグラスはない。大阪・船場の吉兆では、ロブマイヤーのバレリーナ・シリーズを使つてゐると聞いたが、少しわたくしには興醒めである。それなら、なぜパトリシアン・シリーズを使はぬのであらう。或はアンバサダー・シリーズを。前者はアール・ヌーヴォーを代表し、後者はアール・デコを代表するデザインで不滅のデザインである。バレリーナには歴史がない。それだけでも却下すべきものである。

割つてから、数週間も経つて、さうだ、買へばいゝだけのはなしではないかと気づいた。ほんたうに、どうかしてゐる。私はちいさい頃から、お金を惜しまず、物のなくなるのを惜しんだ。物への愛惜の情が深いのだらう。「じぶんが使つてゐた物」は「じぶん」の一部になつてゐるから、じぶんの「一部」が死んだやうに、とりかへせないものゝやうにさへ思はれるのである。

大丸にでも売つてゐるだらうと足を運んだら、果してあつた。しかし、売場の店員は、態度からしても、棚に陳列されてある物の値打がわかるやうな顔付にはみえなかつたので、大丸の店の格の低下を嘆いた。東京は日本橋、三越百貨店の老店員の、なんと上品であつたことか、往年がしのばれた。この百貨店の店員の趣は、京都であるべき姿よりも、数段京都らしかつたものである。

陳列棚の下には、食洗器でも洗へる! を謳つて、ナマケモノ主婦をのさばらせる、「うすはり」ワイングラスがいくつも置かれてゐたが、試みに、もち上げてみたら、ズシリと重かつたので、成程ね、といふ結果であつた。かういふ食器を使つて、日日両親から感性を摩滅させられるこどもこそ、哀れなものである。わたくしは、むすこに「いゝものはなべて軽いものだ。重いものは悪いものだ、末流のものだ」とおしへて来た。すなほな息子は、店につれていくと、必ず料理と共に、器も鑑賞してゐる。食べ終はると、食器をすこしもち上げてみたりしてゐる。

尤も、私の父なんぞは、いくら私が諭しても、貧乏くさいキャンペーンの景品レベルのグラスを好んでビールを飲んで、これでうまい、うまいと自説を曲げないまゝ、今年四月に死んだから、人生にはいろいろある(There is no accounting for Tastes.)。教育のあるなしが、わたくしには、嘆かれる。しかし、性格だとおもへば、嘆いてみても始まらぬ。人生はやはり、どうにもならぬものなのであらう。

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