You Don’t Know What Love Is

この診療所を開設して、七年五カ月といふ年月としつきが過ぎ去りました。いろんな相談を受けてきました。ここは病院ですから、医学的問題に話を限りたいのですが、「鬱病」とか「境界性人格障害」を口実に、じつは恋愛相談といふのが(何が鬱病ぢや!)、結構あるのですね。鬱病でないことは相談者の顔かんばせを一目ひとめ見ただけでとうから判明しています(瞬殺)。相談者は殆ほとんどが女性です。ほぼ全員泣いてをります。若年です。

しかし、恋愛は、大人が楽しむものなので、こどもが恋愛をしてはいけません。以下に短く紹介する丘沢静也の本では奨励してゐるかのごとくですが、私は、高校生や大学生でも恋愛はしてはいけないと思ひます。恋愛はじぶんの金をじぶんで稼ぐやうになつてすべきものと思ひます。ぜんぶ自己責任の世界です。

かう言つても、話の通じない彼女らでも、次の一喝いっかつは、不思議に通じるから、驚かされます。

恋愛つて傷つくよ。傷つかない恋愛なんてない。傷つきたくなければ見合みあひすればいい。恋愛に向いてゐない人は世の中に、いくらもある。さういふ人は結婚すればいいんだ。だから、むかし小児科医で有名な京都の先生*が、恋愛なんかやめておけ、といふ本を書いたくらゐだ。何、彼氏が浮気しないか気になるつて? 愛つて、不信の上に成立つの? 信頼の上に成立つのが愛なんぢやないの? だからキミ、彼氏を愛してるとかほざいてるけど、ホントは些ちつとも愛してなんかゐやしないんだ。信頼できないなら別れなさい。さうして、じぶんしか愛せない、身勝手なじぶん自身を厳しく見つめ直しなさいよ、そんなにメソメソしてゐるひまがある位なら

*松田道雄(1908-98)

たいてい通じない私の説教が、この話に限つて何故百パーセント例外なくつうじるのだらう? ふしぎに思ひます。みんな「そつかあ」といふ顔をして、幸福をとり戻したやうに満足して帰つて行きます。

なぜさうなのか、私は深く考究してはこなかつたのですが、「愛」といふものについて、私もまじめに考へる時間を最近取つてゐるので、大垣書店で最近手にした丘沢静也『恋愛の授業』(講談社選書メチエ、2023年)を試こころみに通読すると、この大学の老先生も「恋は苦しみをもたらす幸せであり、人を幸せにする苦しみ」といふ当り前のことを、オトナたる大学生に、くりかへし説いて聞かせてをられるので、ご苦労さんと思ひました。よのなかはほんたうに安直に陥り過ぎてをります。

(日めくり暦の、或日の格言に)愛することは、いのちがけだよ。甘いとは思わない。 太宰治」と記してあつた。如何にも太宰らしく、好意ある微笑を誘はれた。生前、一度も会つたことのないこの作家に、私は尊敬と、そして愛情を感じてゐる。(小堀杏奴『晩年の父』岩波文庫197頁、1981年)

真実を告げる大人が尠すくなくなつてゐるのです。上の言葉は真実だからこそ、人を動かすのだと思ひます。

しかし、理窟の話はもう沢山。有名なジャズナンバーが大昔から、雄弁に、傷つかない恋愛はない、傷ついて初めて恋愛の真価がわかると、こころに染入しみいる歌詞で歌いあげております。チェット・ベイカーの歌唱に耳を傾けてみませう。

You don’t know what love is ブルースの意味が身に沁みないかぎり

Until you’ve learned the meaning of the blues 愛した人をうしわなければならない経験をしないかぎり

Until you’ve loved the love you’ve had to lose 愛が何か、わかることはない

You don’t know what love is 

You don’t know how lips hurt  くちづけの歓喜、その代償を払ふことがないかぎり

Until you’ve kissed and had to pay the cost 心臓のときめき、それを喪つたことがないかぎり

Until you’ve flipped your heart and you have lost  くちびるの傷みを知ることはない

You don’t know what love is

Do you know how a lost heart fears?  いちど傷ついたこころが何をおそれるか、わかるかい?

The thought of reminiscing 思い出だよ、過去の。うつくしい

And how lips that taste of tears なみだの味を経験したくちびるは

Lose the taste for kissing くちづけの思い出で、もう何も味わえない

You don’t know how hearts burn 生きることも、死ぬこともない愛のせいで

For love that cannot live, yet never dies 心臓が焼き尽くされる

Until you’ve faced each dawn with sleepless eyes 一睡もできなかった眸ひとみで毎朝、暁あかつきをみる経験がないかぎり

You don’t know what love is 愛というものは身を以てわからない

How could you know what love is  さう、どうやつて愛とは何か、知り得よう?

ジャズナンバーつて、だいたいかういふことを唄つてゐるのだらうといふことはわかるのですが、「雰囲気」でわかつてゐて(これほど怪しい理解はない)、詳しくみると、結構胸がえぐられるやうな詩が用意されてをることを失念してゐるのはいけませんね。今回、苦労して訳してみて良かったです。

私に沁みた言葉は、love that cannot live, yet never dies.  これから再び実ることもないが、かといつてその思ひ出が消えていきもしない愛の追憶。日本語にすると長いのが、英語では物凄く簡潔なのがいい。

かういふ歌を聞くと、さつきのクリストファー・クロスの「風立ちぬ」なぞは、ワルを気取つた、幼稚なガキんちよの歌にしか聞こえてきませんね。

注釈

reminiscing; memory しかし、美しい、懐かしい、といった意味合いがある。それがわかるにはこの単語を発音するだけでいい。響が美しいからさうと知れるのである。わからないといふ人は英語なぞ勉強しなくていい。

taste of; experience

 

 

 

 

 

 

 

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