The Life of Coco Chanel

私は男なので、マニッシュを基調とするガブリエル・「ココ」・シャネルGabriel “Coco” Chanel(1883-1971)のマス・ファッションは大きらいな一方、フェミニンを基調とするクリスチャン・ディオオルのエレガントなファッションの方が好きですが、ディオオルはゲイなので、個人的には勘弁してほしい一方、ココの人生は魅力たつぷりで、沢山出てゐる伝記はいづれも一読の価値があります。

写真が豊富な大型本3冊を読了した要点を以下に摘録していきます。以下、シャネルのことは、文字数節約のため、愛称の「ココ」で呼びます。

 

ココはその生年からも当然わかるように、19世紀の人である。それは現代ではその価値が廃れてきてゐるのではないかと思はれる詩人ジャン・コクトオが「宮殿」と称賛したココのパリのアパルトマンの豪華絢爛たる室内装飾ぶりをみても明らかである。

外出には自身の経済的成功の出発点となつた帽子をかむることを生涯晩年に至るまで忘れなかつたのも19世紀の人である証あかしであらう。

その旧ふるさは、欧州社会に今もなほ沁みついてゐる階級社会への「とらはれ」に如実に表れてゐる。ココは中央フランスの貧家の出で、12歳の時に母が結核で死ぬと、姉、妹と共々修道会の経営する孤児院に入れられるのだが、ココはこの事実を恥ぢ、生涯「異常」ともいふべき隠蔽努力を惜しまなかつた。

上流階級への上昇。これがココの「見果てぬ夢」であつた。

ココは「ワーキング・ウーマン」として20世紀女性の走りと俗本は書いてゐるが、それは明らかに違ふ。ココを孤児院に入れた父は、以後二度とココに会ひに来てはくれなかつた。ココは生涯その晩年にいたるまで「父の帰還」を切望してゐたといふから、じつに胸の痛む話ではないか。

貧しくとも愛情のある家族のなかに育てば、ココは「上流階級への上昇」などといふ虚むなしい夢を追ふことなく、じぶんと同じ階級の男と平凡な結婚をして現実の生活に満足してゐた可能性がある。しかし、現実は、ココは「恥ずべき」孤児となつてしまつた以上、「階級上昇」をして「自由」を勝取ろうとする。

ココは孤児院に育つたことを「真つ黒」にとらへてゐるが、実はメリットを与へられてもゐるのは明らかである。しかし、この事実もココは隠蔽してゐる。すなはち、学校教育(もっとも、満足なものではなかつたらうが)を受けられたので、文盲にはならなくて済んだのである。

父母は文盲で、ココの出生証明書にChasnelと綴られても、違ひますとも言へない始末だつたのである。文字が読めたことで、ココは成功したのちも終生夜は、安楽な長椅子に寝そべり、空想と美の世界に読書を通して旅することができたのである。

幸ひ、フランスにはパスカルの『パンセ』、ラ・ロシュフコーの『箴言集』などに代表される、極端にまで切り詰めた智慧の結晶を、アフォリズム文学としてもてあそぶ「断片だんぺん文化」ともよぶべき根強い伝統があつたので、正規の教育を受けてゐないココでも、くるくる頭の回るかぎり、知的に見劣りはしなかつたのであらうが、正直にいへば、上流階級や前衛芸術家 avant-garde の取巻きのなか、ココはこの点、劣等感の塊かたまりであつた筈である(だからこそ、毎夜の読書を欠かさなかつた)。

ココに早寝早起、「ワーキング・ウーマン」の原動力を与へたのも、この孤児院といふ場所で、そもそも修道院は、「労働」による「生産力向上」を図る12世紀「資本主義」の前進基地であつたことを思へば、容易にそのことは理解できるのである。ココは19世紀よりも旧い出自をもつてゐる。

ココの美意識も修道院で培われたものがあり、20世紀のモダンに通じたのは、じつは、12世紀中世の骨太で簡素な美なのである。そのことは、のちにココは英国の大貴族で世界一の大富豪、ウェストミンスター公の愛人になるのだが、その愛の巣のために建てた南仏のラ・ポーザ荘(1928-53)の建築様式、室内様式に明白なことは、ココの友人がみな口をそろへて「ここは修道院なのかい?」といつたことで有名である。

ここで簡単にふれておくと、ココの人生には常に二面性といふものが隠れ見える。先のパリのアパルトマンにあるような豪華絢爛趣味とそれとは正反対の修飾や色彩をできるだけ排した簡素、ミニマルな美的趣味。俗人は後者を20世紀モダンとするのだが、その出自は、ココが隠蔽しているためにわかりにくかつたのだが、実は旧い旧い中世に淵源を發してゐるのである。

とはいへ、孤児院での暮しにおいて、ココの胸には病魔が宿つたのも事実である。家族をうしなつた「孤独」といふ病である。ココはこれを「魔術」で癒した。だれも来ない墓場でひとり遊び、じぶんの星座たる獅子座の「ライオン」、幸運の数字「5」、父の愛した「麦の穂」、父の誕生日(11月19日)と自分の誕生日(8月19日)に共通する「19」、「彗星」などの「シンボル」で、じぶんの夢「ワールド」を作る癖をつけた。

のちにこの「夢世界」を東洋趣味、心霊趣味、神秘主義中心に大いに拡大・発展させるのが、のちの恋人、アーサー・カペルである。諸本はカペルをハンサムな青年実業家として持て囃すが、わるく云ふと政商、機をみるに敏なだけの投機家、戦争成金であつたともいへ、そのあやふさは、1919年2月22日の自動車事故による急死に象徴されてもゐる。

夢の「香水」は、ロシアからの亡命貴族ディミトリ大公(ラスプーチンを暗殺した廉で、時の皇帝ニコライ2世に睨まれた)から、エメラルドなど、ごろりとした夢の「宝石」の数々は、英国のウェストミンスター公から、ロシアやイギリスの衣服意匠をふくめ、これら異国のイメージ、デザイン、アイテムは、交際する愛人を経るごとに増殖し、シャネルの「夢世界」は益益拡大された。

一般に、少女はかういふ「ファンタジー・ワールド」を作るのがすきな傾向があるやうに思はれるが、いちばん最初にココの心臓ハートが父の愛で満たされてをれば、さうまで発展することはなかつたのではあるまいか。これら「夢世界」のアイテムは所詮「孤独の代償物」だからである。さう理解すると、ココの人生がじつにわかりやすくなるのである。

ココが、上流階級への上昇の手がかりに取つた手段も、19世紀的である。ココは、大ブルジョワの「高級娼婦(クルティザン、ドゥミ・モンデーヌ)」となる方法を取つたのである。ココは、基本的には「旧い女」なのである。寛大きはまりない馬きちがひの大ブルジョワ、エチエンヌ・バルサンの愛妾とならなければ、ココの将来が開かれることは決してなかつたであらう。

ココはバルサンのお城と室内装飾、午ひるのけだるい無為の生活と夜会のばか騒ぎから「贅沢」とは何か、何から何まで、こころゆくまで教へてもらうことができたのは幸運であつたとしかいひやうがない。上流階級を顧客に法外な利益をぶんどるココの商売上、それは必須であつたらう。

ココに「新しい」ものがあつたとすれば、バルサンやカペルの取巻の愛妾たちと同じ服装を着ようとはしない「意地」にあつたと思はれる。もし同じファッションをしてをれば、ココは永遠に勝者とはなれず、そのボーイッシュな体型から、永遠の敗者であつた筈である。しかし、ココはじぶんの痩せた体型に「似合ふ」服装を身につけることでユニセックスなセクシー度を上げることに成功した。

「つねに自分でゐること」への信念。これこそが真に20世紀的なものといへるかも知れない。さうして新しいものがあるとすれば、じつは先にも述べた通り、ほんたうは12世紀の中世的な「旧い」ものなのだが、それは、「働く」という独立への意志であつたらう。

19世紀、上流階級にある(あるべき)女性が「働く」といふのは論外であつたので、ココのさうした「20世紀的」希望はバルサンには理解できないことであつたが、若いカペルは理解をしめしココに資金を用意してくれた。さうしてシンプルなカノチエ帽を考案し、バルサンやカペルの人脈を通して帽子は売れに売れた。

ココは多くのロシア貴族に人脈のあるディミトリ大公と愛人関係になつたり、前衛芸術家の友人を数限りなくもつミシア・セールと厚い親交を結ぶなど、多くの友人をもつ少数のキーパーソンと親交を結ぶことで効率的に人脈をひろげる才能に長けていたようにみえる。意図してさうしたかどうかはわからないが、結果はそのやうにみえる。

1921年5月5日に発売して、ココに不朽の名声と財産をあたへた香水ヌメロサンクができたのも、ディミトリ大公から紹介を得たロシア皇帝ニコライ2世の香水調合師エルネスト・ボーあればこそであるし、1944年にココが対独協力者の嫌疑を受けたにも拘かかはらず、スイスに亡命できたのも、ウェストミンスター公の直近の友人たるウィンストン・チャーチルがあればこそであつた。

多くの俗本はココを「新しい女」といふが、いままで述べ来きたつたやうに、さういふ部分はじつは尠すくなく、「旧い女」といふ側面のほうが遥かに多いのである。それはココの男たちとの付合ひ方をみれば、明瞭である。

先に述べたごとく、おそらくココは、貧家であれ、父母の愛情をたつぷり受けて育つてをれば「階級上昇」などといふ夢を追ふことなく、平凡な結婚をし子供を育て平凡な暮しに満足してゐたのではないかと想像する余地がある人なのであつた(現に後年、甥の長女にそう洩らしてゐる。「結局はね、おチビちゃん、あなたが正しかつたのよ。夫と子供たちがゐて、本当の人生を送つてゐる。私はひとりよ)。

しかし、父はじぶんを棄ててしまひ、愛情を乞ふココは、次つぎとつき合ふ男性を更へてゆく。いちばんの恋人は、資金も神秘主義の智慧もあたへてくれたアーサー・カペルであつたが、ココはじつにかう言つてゐる。「彼は父であり、兄であり、家族そのものだつた」と。親愛なる家族。これこそが自分の求めるものであつたと自己告白してゐるやうなものである。だから、現実にあるカペルそのひとを愛してゐたかどうかは、少し知れないところがあるのである。

カペルとの結婚を考へたとココは言ふ。ウェストミンスター公の時も。しかし、結婚することは「身分(階級)違ひ」のために現実的には「絶対に」できなかつたことはココは重々承知だつたはずで(現に上記のふたりの男たちは貴族女性と結婚ないし再婚してゐる)、じぶんの激しい性格も重々承知のココのこと、結婚=愛ではないことは当然だが、結婚できなければ、ココにとつて、それは愛ではなかつたはずで、端的にいへば孤独を埋めるための恋愛遊戯に過ぎなかつたといへる。

男から「愛してもらいたい」「旧い女」たるココの「孤独」は深い。

ココがもし結婚をする可能性があつたとすれば、それは詩人のルヴェルディか、なにからなにまで装飾してしまふマルチデザイナー、ポール・イリブであつたらう。

ココには男性の好みにおいても二面性あり、ほんたうのところは、別段、貴族階級の男でなくてもいいのである(アーサー・カペルはクラーク・ゲーブル似のハンサムでインテリだつたが、ウェストミンスター公はいかにも田舎者然たる風貌ではないか! 知的には相当退屈な人だつたらしい)。金があらうとなからうと(ココはバルサンよろしくお金には頓着せず、おおくの藝術家を法外な大金で後援した)、じぶんの心の琴線きんせんにふれる人であれば。

しかし、貧乏詩人のルヴェルディは他の女と結婚をして隠棲してしまふし、金は儲けるが散財家のイリブは、ラ・ポーザ荘のテニス・コオトで心臓麻痺を起し、可哀そうに、ココの目前であつけなく死んでしまつた(1935年)。爾来、ココは睡眠薬なしに眠れなくなりモルヒネ中毒となつてしまつたのである。

親戚や友人たちは多くが猛反対してゐたらしいが、ココに一番お似合ひの結婚相手は、同い年で同じ身分、同じやうなセンスで仕事をし、これまた同様に毒舌家で皮肉家のポール・イリブだつたと思はれる。

のち自分の年齢の半分くらゐの若き日のルキノ・ヴィスコンティを愛人にしたりもしたらしいが、ヴィスコンティは所詮ゲイだし、ココの「女」としての人生は実質ここらへんで終つたとみるべきだらう。

1939年9月に第二次大戦がはじまるまで、パリの上流階級は豪勢な夜会に明け暮れ、ふだん夜遊びをしなかつたココも頻繁に参加するやうになる。むろん「孤独」をまぎらすためである。

戦後ココはスイスに亡命したのち、1954年2月5日、パリ・モード界にカムバック、1971年1月10日まで再君臨するが、際限なく「仕事」をすることで「孤独」を埋めようとするココの周囲は、その長時間労働に耐えきれず、まともな人は一人抜けふたり抜けとすべて去り、ココの周囲はココがカネで買つたゴロツキ連がゐるだけになつた(ために、ココ所有の宝石は、ココの死亡直後にかなりの点数が失はれたままだといふ)。

「仕事はわたくしの命をむさぼり食つたわ」(ココ)。しかし、仕事は、ではなく、「孤独は、」なのであらうと、わたくしには、さう思はれる。

 

ファッションの話に興味がないので、そこはすつ飛ばしました。書店の本棚をながめると、シャネル語録みたいなのが俗人には受けて売れてゐるやうですが、ココに教育はありませんし、はったりや意図的・無意識的なウソも多いので、あんまり真に受けるのはどうかと思はれます。

またポール・モランの『シャネル』(山田登世子訳、中公文庫、2007年)も、時代的に、あまり真に受けてはいけない内容だと思ひます。

わたくしは、姉の自殺後ココがひきとり息子同然に育てた5歳の甥(男児)の長女の言を多く採ったイザベル・フィメイエの本に信を置いてゐます。ついでシャルル・ルーの本。客観的で公正な姿勢が目立ちます。

ウォラクの本は大変読みやすいのですが、いかにもアメリカンで、サクセス・ストーリーに過ぎます。晩年の深い深いココの孤独に全くふれてゐないのは、却つてココに思ひやりがないでせう。拙文はその欠を補ふ意味でも書いてみたのです。

参考文献

イザベル・フィメイエ『素顔のココ・シャネル』(鳥取絹子訳、河出書房新社、2016年)

エドモンド・シャルル・ルー『シャネルの生涯とその時代』(秦早穂子訳、鎌倉書房、1990年)

ジャネット・ウォラク『シャネル スタイルと人生』(中野香織訳、文化出版局、2002年)

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