きょうは、普通に、チョット、エッセイです
気楽に、しかし、まじめに、話します。精神科といいますか、心療内科といいますか、メンタルクリニックを開業して以来、あと2ヶ月もすれば、ちょうど7年となる計算なんです。よくやってきましたね、じっさい。正直な話
受診患者の数の話をすると、「星の王子さま」からは俗物の証拠と笑われそうですが、昨日の日付で5492人。万感の思いに襲われますが、ひとりの医者がこの期間で診る数字として、おいそれと達成できる数字ではないと自負しています
反省すべきことも無論あって、最初は、なんの条件もつけず、受診したいという電話があれば、こっちも好奇心があったので、ぜんぶ受けていました。リアルな話をすれば、ふざけとったらアカンよ、という人らも仰山ぎょうさんあり、そういう連中には私は医者である以上、正直、厳しかったです。まあ、その結果はグーグルのコメントをみてもらったら、あきらかですね。そういう人らに「寄り添う」(おお、なんと気味のわるい言葉であろう!)気は、今後もありません。医者から言うならともかく、患者が「権利」としてじぶんに「寄り添え」と命令するなんて、「おかしい」じゃありませんか。「あんた、ナニサマ?」ぶりが自覚できない「世間知らず」とは、所詮「話」なんてできません
それから受付と日々話し合いを続けて、徐々に、弊院独自の「枠わく」をつくらせてもらいました。もうそうしないとね、現場がもたないのね。疲弊して
独自基準も「完璧」の域に達したなと、自己満悦にひたること、しばし
…しかしね、それでも、受診したい、相談したいという真摯しんしな電話はとぎれることがないから、待てよ、と思いました。いささか狭くなり過ぎたかも知れない「枠」を拡げるべく「もういちど、考え直そう」と。それがこの最近半年ほど
下記に写真を載せますが、開業当初、わたしはまるで「詩」のような「ごあいさつ」を書いたのです。われながら、甘ったるすぎますかね
当時もこんな「文学」じみた文章を載せたクリニックはなかった。2018年の末に過労でたおれたとき、こんなもの書いたから、お呼びでない連中を甘やかしてしまったんだと反省して、HPからも削ってしまったのです。しばらくはずっと、きれいさっぱり、忘却の水底みなそこ深く、沈むにまかせておったのですが、最近になり、だんだん、「アレ」が懐かしくて仕方なくなってきた。ふしぎだなあ、と思っていたときに、アレ、どこにやったっけと、ひきだしの奥をゴソゴソやったら、出てきた…
いま、読み返すとね、やっぱり「名文」ですよ。精神科病院ではない、「まちなかのクリニック」の果たすべき使命が、きちんと漏らさずに書いてある。臨床医なら、そうだと必ず言うでしょう
証拠をあげます
「…さんの場合、本質的な部分で「病気」とは言えないから、精神科に通院したり薬物を処方したりすべきではないという意見もあるかもしれない。しかし一方で、彼らが相談できる場所があるかというと心もとない。…したがって、医療にできることはわづかしかない場合においても、彼らを医療の対象ではないと切り捨てることなく、力を尽くすことは重要なことだろう。現在の日本において、苦しみを抱える個人が自分の問題を隠し事なく語ることができるシステムとして、コスト面においても内容面においても、病院より「よりよい」ものは存在していない。…だれも手を差し伸べようとしない無力な個人は冷たい集団の中を浮遊し、最後は自殺して朽ち果てることもあれば、…」(岩波明『ビジネスマンの精神科』講談社現代新書、93-4頁)
考え直した背景には、七年の経験の蓄積があります。薬よりも何よりも「通院」の継続じたいが、患者さんの「健康」を維持・増進させていることがあると、多数の実例を以て、知ることができたわけですね。だから、みなさんに最近よく言うのは、「また、遊びにきてください」という声かけです。これが悪くないみたいです。「そう言われると、気が楽になります」とみなさん、おっしゃってくださいます
「まちなかのクリニック」は「病気」を治すというより、「心労、ストレス」からもたらされる「健康」の悪化をふせぐ、ということのほうが余程重要な使命なのだと、これも多数の実例を以て、実感していることなんです
上記の引用にもあるとおり、自殺する人は、すくなくありません。それは私のこころを確かに痛めつけました
そして、「相談できる人がいない」というくるしみ、かなしみは、存外普通にあることなのに、軽視されがちであるという事実に、私じしんがようやく身を以て気づいたことです。これはひとりの患者さんが私に教えてくれました。医者は患者からまなびます。言葉を交わす、このことの効果を無視しないこと。信ずること。会話のもたらす「目に見えない」効果を。「こころの目」で見れば、やはり、会話には、見える効果があるのです
だから、初心に還ろうと思った
よく大企業なんかの立派な社長さんがそういう「キレイゴト」を経済新聞や雑誌に語っているのをみて、なんだかなあと冷笑していたことが多かったのですが、イヤ、初心に還るべき時、そういう時はやはりあるのだと、反省しました
キレイゴトではない証拠に、私は今なみだをこぼさずにはいられない。これがどういう泪か、それは複雑すぎて語れません。ただ精神科医のしごとは、一筋縄では参らないということでしょうか
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