That’s a degree to love.

愛についての一考察。

漱石の『三四郎』を始はじめて読みました。通俗で面白くないと勝手に極めつけてゐたのはまちがひで、大層たのしめますし、実験的で、かつ抒情的です。テーマは複数あると思ひますが、「女とはどういふ生きものであるか」が冒頭に堂堂と宣言されてゐるので、そこからして面白い。

数え年二十三歳の小川三四郎は、九州熊本の農家の地主の跡取り息子で、旧制高校を卒業後、東京帝国大学文学部に進学します。電車に乗って日露戦争後の「新しい東京」に向ふ途中、京都から乗つて来た年増の美人に見惚れてゐると、電車は名古屋どまり。

「蛸薬師」の地名が出てきてびっくり。「女」の口から、いい小供の玩具おもちやを安く売つてゐると紹介されてゐます。

夜に着いたので一泊するわけですが、この美人が三四郎について離れず、同じ旅館の相部屋になり、なんと女はセックスに三四郎を誘つてきます。世慣れぬ三四郎はこの「据膳すゑぜん」を食らふことなく逃げ出すと、女からニヤリ、「あなたはよつぽど度胸のない方ですね」と笑はれてしまふ。

そんなうぶな三四郎が東京に着くと、母親からの手紙で遠戚えんせきの野々宮宗八を訪ねろといはれて、本郷の東大に行く。野々宮さんは三十歳の理学士で、何やら世界的研究を東大でやつてゐるのです。文学を遣る三四郎には遠い世界で、三四郎は、「三四郎池」のほとりでぼんやりしてゐると、そこで「奇麗な色彩」を見る。

要は、「美人」を見たのですね。この美人が誰か、しばらく明かされないのですが、明眸皓歯めいぼうこうし、魅惑の美女という設定です。三四郎は美人をみると、それだけでぼうっとのぼせ上ってしまふ。三四郎は東京へ出て次のやうな世界に夢を見てゐるのである。

さんとして春の如く盪うごいてゐる。電燈がある。銀匙がある。歓声がある。笑語がある。泡立つ三鞭シャンパンの盃がある。さうして凡ての上の冠かんむりとして美しい女性にょしょうがある。(岩波文庫85頁)

しばらくして、野々宮さんの妹のよし子を青山病院に見舞った際にも、この美人と偶然再会するのですが、名前はまだわからない。ただ、この美女が野々宮兄妹と親しくしてゐるといふことは判明します(野々宮さんが買ったリボンをつけてゐたこともあり:但し、三四郎の観察に客観性があるのかどうかは実はわからない)。

名前を知るのはつひに第四章で、広田先生(野々宮さんの恩師で、旧制一高英語教授。四十歳位と推定される)の引越の手伝てつだひに来た際、自己紹介の挨拶に、三四郎に女が名刺をくれて初めて女の名前が「里見美禰子とみみねこ」と知れるのでありました。

この小説は、大体において、三四郎目線で展開するので、三四郎の心理はわかつても、他の人物が何を考へてゐるのか読者には全く知らされない展開で進むといふ「異例」さがある、実験小説です。他の人物たちの思惑は、三四郎の目を通した外形から読者が推測せよ、といふ設定なのですね。最後にそれは美禰子の肖像画を描く原口という画家の口から種明かしされる。

「それに表情といつたつて」と原口さんがまた始めた。「画工えかきはね、心を描くんぢやない。心が外へ見世みせを出してゐる所を描くんだから、見世さへ手落なく観察すれば、身代しんだいは自おのづから分るものと、まあ、さうして置くんだね。見世で窺へない身代は画工の担任区域以外と諦めるべきものだよ。だから我々は肉ばかり描いてゐる。どんな肉を描いたつて、霊が籠らなければ死肉だから、画として通用しないだけだ。そこでこの里見さんの眼もね。里見さんの心を写すつもりで描いてゐるんぢやない。ただ眼として描いてゐる。この眼が気に入つたから描いてゐる。この眼の格好だの、二重瞼ふたえまぶたの影だの、眸ひとみの深さだの、何でも僕に見える所だけを残りなく描いて行く。すると偶然の結果として、一種の表情が出て来る。もし出て来なければ、僕の色の出し具合が悪かつたか、格好の取り方が間違つてゐたか、どつちかになる」(岩波文庫243頁)

結果として、人物の心が推測できたとしても、その正否の保証もない、といふのですから、この小説には「不確定要素」がおのづと含まれてをり、「恋愛小説」には適当な手法といへるかも知れません。が、それが禍わざはひしてか、三四郎と美禰子が恋愛をする小説という誤解が、いい年をした文芸評論家にもかつて尠すくなくなかつたといふのが愕おどろき。

しかし、この小説をすなほに読むかぎり、恋愛をしてゐるのは、野々宮さんと美禰子なのですね(美禰子は三四郎と同い年)。三四郎は美禰子に一目ぼれして片思ひしてるだけ。美禰子の兄、里見恭助は法学士で、この小説には名前しかつひに出て来ないのですが、これが野々宮さんと同級で、仲良なかよし。恭助の兄がこれは亡くなつてゐますが、広田萇先生と仲良だつた縁で、美禰子は、広田先生や野々宮兄妹とのあいだに交友関係を築いてゐたところへ、広田先生の書生である佐々木与次郎と東大で知り合つた三四郎が、新しくこのサークルに加はつたといふのが小説の舞台設定になつてゐる。

ところが、さきの誤解が生じても悪くないかのやうな、美しいシーンがあるんですな。この小説は、三四郎の眼には、美禰子が「絵」のやうに美しくいつも登場するので、先の手法とあわせ、「絵画小説」ともいへます。絵画数寄であつた漱石らしい「藝術小説」であるともいへます。さうですね、この点が私には『三四郎』一番の感動点でせうか。

三四郎と美禰子が、広田先生の家の二階から秋空をながめるシーンは、美禰子が詩人の魂をもつてゐることを示唆して、感傷的です(感傷的であることは小説のむすび近くになり、三四郎の美禰子への片思ひが畢おはるところで「詩」のやうな「おもひで」のまとめが出て来ることであきらか)。長くなりますが、このシーンを引用してみます。

「何を見てゐるんです」

「中てて御覧なさい」

「鶏とりですか」

「いいえ」

「あの大きな木ですか」

「いいえ」

「ぢや何を見てゐるんです。僕には分からない」

「私先刻さつきからあの白い雲を見てをりますの」

なるほど白い雲が大きな空を渡ってゐる。空は限りなく晴れて、どこまでも青く澄んでゐる上を、綿わたの光つたやうな濃い雲がしきりに飛んでいく。風の力が烈しいと見えて、雲の端が吹き散らされると、青い地が透いて見えるほどに薄くなる。あるいは吹き散らされながら、塊かたまって、白く柔かな針を集めたやうに、ささくれ立つ。美禰子はその塊を指さしていつた。

「駝鳥だちょうの襟巻ボーアに似てゐるでせう」三四郎はボーアといふ言葉を知らなかつた。それで知らないといつた。美禰子はまた、「まあ」といつたが、すぐ丁寧にボーアを説明してくれた。その時三四郎は、

「うん、あれなら知つとる」といつた。さうして、あの白い雲はみんな雪の粉で、下から見てあの位に動く以上は、颶風ぐふう以上の速度でなくてはならないと、この間野々宮さんから聞いた通りを教へた。美禰子は、

「あらさう」といひながら三四郎を見たが、

「雪ぢや詰まらないわね」と否定を許さぬやうな調子であつた。

「何故です」

「何故でも、雲は雲でなくつちやいけないわ。かうして遠くから眺めてゐる甲斐がないぢやありませんか」

「さうですか」

「さうですかつて、あなたは雪でも構はなくつて」

「あなたは高い所を見るのが好すきのやうですな」

「ええ」

美禰子は竹の格子の中から、まだ空を眺めてゐる。白い雲は、あとから、あとから、飛んで来る。(岩波文庫94-5頁)

ぼんやり読んでゐると、ふたりの間に、こころの通ひ路の敷かれた始はじめのやうに見えるが、それは違ふ。三四郎の美禰子への思ひは一方通行。しかるに美禰子は三四郎の相手をしてゐるようでずっとじぶんの心の殻のなかに閉ぢ籠つて考へてゐるのです。

考へてゐることは常に野々宮さんのことである。どうもふたりの間はうまく行つてゐるやうでさうでないことは、ここで三四郎が持ち出してきた野々宮説を「詰まらない」と評してゐる点からも窺へ、この小説で第四章と並んで有名なつぎの第五章では、みな連れだつて、団子坂の菊人形を見物しに行くシーンでも、野々宮さんと美禰子はすこし諍いさかひをしてゐるところから明白になつてをると思ひます。

野々宮さんは科学的でポエジーが欠乏してゐるが、美禰子は藝術好ごのみでポエジーが横溢してゐるのです。この小説の結論を先回りして云ふと、美禰子が三四郎と結婚しないことはもちろんだが、野々宮さんとも結婚はしない。このことについて経済的側面から美禰子を悪く云ふ文藝評論家が従来多いのだが(要するに、貧乏人たる野々宮さんを棄てて、金持の俗物を選んだ)、これも愕おどろき。長らくお付合してきたが、人がらのちがひをとことんまで突き詰めたときにそれを思ひ知らされて、美禰子は野々宮さんには絶望したのであらう、と取るのが尋常な解釈としか私には思へません。

美禰子は、黒い帽子を被かぶつて、金縁眼鏡を掛けて、背のすらりと高い細面の立派な人(この人は野々宮よし子との縁談を断つた後、美禰子を選んだ)と結婚するのだが、美禰子はヴァイオリンを弾き、カソリック・チャーチにも通ふハイカラ人種であることを思へば(岩波文庫249、191、287頁)、ある種の文藝評論家がこのふたりの結婚や美禰子の人格を糞みそにやつつけるのはお門違ひもいいところで、正にお似合ひのカップルなのではないかといふのが穏当な解釈といふものであらう。

現在の団子坂。団子坂上の森鷗外記念館向ひからの眺望。2024年9月22日撮影。東京都文京区千駄木1丁目

この団子坂のシーンでは、菊人形見物の余りの人出で、美禰子は気分が悪くなつたと三四郎は単純にとつてゐるのだが、これは half truthで、真実のもう半分は、野々宮さんとの結婚は、考へかたとか感じかたにおいて、ついていけないと感じた美禰子の深いかなしみによるものと私は考へます。だからこそ次の有名な言葉(「迷羊stray sheep」)がでてくるわけでせう。

「広田先生や野々宮さんはさぞ後で僕らを探したでせう」と始はじめて気が付いたやうにいつた。美禰子はむしろ冷ひややかである。

「なに大丈夫よ。大きな迷子ですもの」

「迷子だから探したでせう」と三四郎はやはり前説を主張した。すると美禰子は、なほ冷かな調子で、

「責任を逃れたがる人だから、丁度好いでせう」

「誰が? 広田先生がですか」

美禰子は答へなかつた。

「野々宮さんがですか」

美禰子はやつぱり答へなかつた。

(中略)

「迷子」

女は三四郎を見たままでこの一言ひとことを繰返した。三四郎は答へなかつた。

「迷子の英訳を知つていらしつて」三四郎は知るとも知らぬともいひ得ぬほどにこの問とひを予期してゐなかつた。

「教へて上げませうか」

「ええ」

「迷へる羊ストレイ・シープ。解つて?」(中略)

迷へる羊ストレイ・シープという言葉は解わかつたやうでもある。また解らないやうでもある。解る解らないは、この言葉の意味よりも、むしろこの言葉を使つた女の意味である。(岩波文庫128-9頁)

野々宮さんとのあひだではこの先「将来」が見えさうもない。「愛し続けていく」自信が持てない。じぶんももう数えで二十三歳である。人生この先一体、どうしたらいいのであらう。よき伴侶のいないさびしさ、孤独、かなしみ、それをもとめても容易にえられぬあてどなささ、ああ、私はあの迷子に似てゐる。われはいづこのかたへのがれゆくべき。さういふ美禰子の万感の思いがこの「ストレイ・シープ」の語には籠められているだらう。

だから、この語は「詩語」に似て、音のひびきを楽しむに似たる語になつてゐる。美禰子の結婚がきまつて三四郎の胸に残る美しい思ひ出は、かう語られる。

かつて美禰子と一所に秋の空を見た事もあつた。所は広田先生の二階であつた。田端の小川の縁ふちに坐つたこともあつた。その時も一人ではなかった。迷羊ストレイ・シープ。迷羊ストレイ・シープ。雲が羊の形をしてゐる。(岩波文庫288頁)

広田先生の「夢」が語られるエピソオドに、「その時僕が女に、あなたは画だといふと、女が僕に、あなたは詩だといつた」といふこれも有名なせりふに呼応するものでせう。

詩画一如。

さきに「藝術小説」と評したゆゑんです。

サテ、美禰子から、あなたも stray sheep のひとりよと端書でいわれた三四郎に、よき伴侶があるとすれば、それは誰か?

附記) 美禰子が三四郎と恋愛してゐたとかいふ説を唱えている人が、見落としているのが次の明らかな記述。「三四郎が美禰子を知つてから、美禰子はかつて、長い言葉を使つた事がない。大抵の応対は一句か二句で済ましてゐる。しかも甚だ簡単なものに過ぎない。それでゐて、三四郎の耳には一種の深い響ひびきを与へる。殆ほとんど他の人からは、聞き取る事の出来ない色が出る。三四郎はそれに敬服した。それを不思議がった。(岩波文庫246頁) あきらかに三四郎の片思ひにふたりの関係が終始してゐることを短く語つて雄弁である。

ここでは広田先生も示唆し、友人の佐々木与次郎も断言するやうに(岩波文庫141頁、219頁。ふたりは漱石の分身でもある)、それは野々宮よし子なのである。よし子は至るところで女らしい(岩波文庫141頁、114頁)と称賛されてゐるが、最大の賛辞は、次のものです。

馴々なれなれしいのとは違ふ。初はじめから旧い相識しりあひなのである。同時に女は肉の豊でない頬を動かしてにこりと笑つた。蒼白いうちに、なつかしい暖味あたたかみが出来た。(中畧) その時青年の頭の裡うちには遠い故郷ふるさとにある母の影が閃ひらめいた。

これは『坊つちやん』における「清きよ」に繋がる女性像であらう。愛する女性はどこか「なつかしい」「あたたかみ」のある感じがする人でなければならない。ほかに「愛」の条件はないか? それが第四章で出て来る、この有名な言葉。

Pity’s akin to love.

元は、シェイクスピアの喜劇『十二夜』中の台詞から編み出されたものらしい(河合祥一郎『シェイクスピア』中公新書、2016年、125-6頁)。

ヴァイオラ あなたのことは可哀そうだと思います I pity you.

オリヴィア それは恋の第一歩ね That’s a degree to love.

『三四郎』の中では、佐々木与次郎がこれに「可哀想だた惚れたつて事よ」という訳を与へて、一同が笑ふ場面になつてゐるのだが、この言葉も、小説中ではさつきの「迷羊 stray sheep」同様、深くまで意味を追ふことはなされないまま、放置されてをり、読者の思索に委ねる言葉となつてゐる。

しかし、漱石が小説中にわざわざ出してきた言葉であることを考へると、この言葉の裾野は広いはずで、愛を愛たらしめるには、セックスが合ふとか、趣味が合ふとか、話が合ふとか、食の好みが合ふとか、さういふものもむろん大事だけれども、何か他に要石かなめいしとなるものがあらうという話なのではないか。さう考へ出すと大変示唆に富む言葉なのですね。

結局、それは男女相互のあひだに、慈愛いつくしみの情、これが等分にあるかないか、といふ話ではないかと思はれます。ナンダ、当り前の話ではないかと思はれるかも知れませんが、私はこの点、人生で二度も失敗しましたね。だから、けつして当り前ではないと思ひます。

「情深き」女をのぞむべし、それは定めて「旧き女」だと荷風散人は言ひます(磯田光一編『摘録 断腸亭日乗』上巻、岩波文庫、170-1頁、昭和3年2月5日)。

二月五日 雪もよひの空なり。(中畧) 薄暮お歌夕餉の惣菜を携へ来ること毎夜の如し。この女芸者せしものには似ず正直にて深切なり。去年の秋より余つらつらその性行を視るに心より満足して余に事つかへむとするものの如し。女といふものは実に不思議なるものなり。お歌年はまだ二十を二ツ三ツ越したる若き身にてありながら、年五十になりてしかも平生病み勝ちなる余をたよりになし、更に悲しむ様子もなくいつも機嫌よく笑うて日を送れり。むかしはかくの如き妾気質めかけかたぎの女も珍しき事にてはあらざりしならむ。されど近世に至り反抗思想の普及してより、東京と称する民権主義の都会に、かくの如きむかし風なる女のなほ残存せるは実に意想外の事なり。絶えてなくして僅にあるものといふべし。余かつて遊びざかりの頃、若き女の年寄りたる旦那一人を後生大事に浮気一つせずおとなしく暮しゐるを見る時は、これ利欲のために二度とはなき青春の月日を無駄にして惜しむ事を知らざる馬鹿な女なりと、甚しくこれを卑しみたり。然れども今日にいたりてよくよく思へば一概にさうとも言ひがたき所あるが如し。かかる女は生来気心弱く意地張り少く、人中ひとなかに出でてさまざまなる辛き目を見むよりは生涯日かげの身にてよければ情深き人をたよりて唯安らかに穏なる日を送らむことを望むなり。生れながらにして進取の精神なく奮闘の意気なく自然に忍辱にんにくの悟りを開きゐるなり。これ文化の爛熟せる国ならでは見られぬものなり。されば西洋にても紐育ニューヨーク市俄古シカゴあたりにはかくの如き女は絶えて少く、巴里パリーにありてはしばしばこれを見るべし。余既に老境に及び藝術上の野心も全く消え失せし折柄、かつはまたわが国現代の婦人の文学政治などに熱中して身をあやまる者多きを見、心ひそかに慨歎する折柄、ここに偶然かくの如き可憐なる女に行会ひしは誠に老後の幸福といふべし。人生の行路につかれ果てたる夕ふと巡礼の女の歌うたふ声に無限の安慰と哀愁とを覚えたるが如き心地にもたとふべし。

キーワードは「深切」「むかし風」「情深き」「可憐」でせうか。pityのなかみは、先のstray sheepと同じで、一言でいい尽くすのがむつかしいのですが、これらの複雑な情感がほんたうのloveには必要だと思はれます。

以前、紹介した丘沢静也の『恋愛の授業』(講談社選書メチエ、2023年)では、「互いの弱さを互いに認め合ふときに愛が始まる」といふ「仮説」の実例に、チェーホフの『犬を連れた奥さん』(1899年)を引用するのですが(257頁)、この老ドイツ文学者の先生の意見には、私も異論がありません。

この二人の恋がまだそう急におしまひにならないことは、彼にははつきりと見えてゐた。何時いつといふ見当もつかないのだ。アンナ・セルゲーヴナはますますつよく彼に結ばれて来て、彼を心から崇拝してゐたから、その彼女に向つてこれもすべていつかは結末を告げねばならないのだなどとは、とても言へたものではなかつた。だいいち彼女は本当にしないだらう。

彼は彼女のそばへ歩み寄つて、その肩先に手をかけた。あやしたり、おどけて見せたりしようと思つたのだが、その時ふと彼は鏡にうつつた自分の姿を見た。

彼の頭はそろそろ白くなりだしてゐた。そしてわれながら不思議なくらゐ、彼はこの二三年のうちにひどく老け、ひどく風采ふうさいが落ちてゐた。いま彼が両手を置いてゐる肩は温あたたかくて、わなわなとふるへてゐた。彼はこの生命にふと同情を催した。それはまだこんなに温かく美しい、けれどやがて彼の生命と同じく色あせしぼみはじめるのも、恐らくさう遠いことではあるまい。どこがよくつて彼女はこれほどにも彼を慕つてくれるのだらう? 彼はいつも女の目に正体とちがつた姿に映つて来た。どの女も実際の彼を愛してくれたのではなくて、自分たちが想像で作りあげた男、めいめいその生涯に熱烈に探し求めてゐた何か別の男を愛してゐたのだつた。そして、やがて自分の思ひ違ひに気づいてからも、やつぱり元通りに愛してくれた。そしてどの女にせよ、彼と結ばれて幸福だつた女は一人もないのだつた。時の流れるままに、彼は近づきになり、契りをむすび、さて別れただけの話で、恋をしたことはただの一度もなかつた。ほかのものなら何から何までそろつてゐたけれど、ただ恋だけはなかつた。

それがやつと今になつて、頭が白くなりはじめた今になつて彼は、ちやんとした本当の恋をしたのである。生まれて初めての恋を。

アンナ・セルゲーヴナと彼とは、とても近しい者同士のやうに、親身の者同士のやうに、夫婦同士のやうに、こまやかな親友同士のやうに、互ひに愛し合つてゐた。彼らには運命が手づから二人をお互ひのために予定してゐたもののやうに思へて、それをなんだって彼に定まつた妻があり、彼女に定まつた良人があるのやら、いつかうに腑に落ちないのだつた。それはまるで一番ひとつがひの渡り鳥が、捕へられて、別々の籠かごに養はれてゐるやうなものだつた。二人はお互ひに過去の恥づかしい所業を許し合ひ、現在のこともすべて許し合つて、この二人の恋が彼らをともに生まれ変らせてしまつたやうに感じるのだつた。

もとの彼は、悲しいをりをりには頭に浮んで来る手当り次第の理窟でもつて自分を慰めてゐたものだが、今の彼は理窟どころの騒ぎではなく、しみじみと深い同情を感じて、誠実でありたい、優しくありたいと願ふのであつた。…

「もうおやめ、いい子だから」と彼は言つた。「それだけ泣いたら、もうたくさん。…今度は話をしようぢやないか。何かひと工夫してみようぢやないか。」(神西 清 訳、岩波文庫36-8頁)

ここから拾へる「愛」のキーワードは「同情」「幸福」「なみだ」でせうか。小生の考かんがへではお金は「自由」に結びついてゐますが、「幸福」に結びついてはをらず、「幸福」は「愛」とむすびついてをり、それは単なる「仕合せ」ではなく、「可哀い」と相手を思つて流す「なみだ」とむすびついてゐると思はれるのです。そのことは、ウィインの医者兼作家のアルトゥウル・シュニッツラア(1862-1931)が書いて、森鷗外が最初から日本語で書かれたのではないかとさへ思はせる名訳をした『みれん』(当時死病であつた結核にかかつた男を看病する女の愛の物語)にもみられます。

「いいえ。どんな事があつてもわたくし別れるのは厭いや。」

男は首を振つてゐる。女は身を寄せ掛けて、男の両手を取つて、それに接吻した。

「ほんとにお前は可哀かわゆい奴やつだなあ。それを思ふと、己おれは悲しくてならない。」 (岩波文庫、23頁)

自由は山ほどあれども、幸福とむすびつきたるほんたうの愛は、じつに世には僅かしかないと思へば、出づるは悲歎のためいきばかり也。(完)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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