長い文章を書くやつはバカである。ショーペンハウエルもいふ(「著作と文体」『読書について』岩波文庫)。
難解不明、もつれて曖昧な文体で文章を組み立てる連中は、自分が何を主張しようとしてゐるかをまつたく知らないと言つてよく、せいぜいある思想を求めて苦闘しながら、それを漠然と意識してゐるにすぎない。だが彼らはまたよく、言ふべきことを何も所有してゐないといふ真実を、自分にも他人にも隠さうとする。フィヒテやシェリング、ヘーゲルのやうに、知らないことを知つてゐるかのやうに偽装したがり、考へも言ひもしないことを、考へたり言つたりしてゐるかのやうに見せかけたがる。いつたい人は何か真実なものを伝達しなければならない際に、曖昧な語り方に努めるであらうか、それとも明晰な語り方に努めるであらうか。つとにクインティリアーヌスも言つてゐる。「往往、学識豊かな人の言葉が理解しやすく、はるかに明瞭である。…したがつて、学殖の乏しさに比例して、その発言はいよいよ曖昧になるであらう」(72頁)
少量の思想を伝達するために多量の言葉を使用するのは、一般に、凡庸の印と見て間違ひない。これに対して、頭脳の卓抜さを示す印は、多量の思想を少量の言葉に収めることである。真理はそのまゝで最もうつくしく、簡潔に表現されてゐればゐるほど、その与へる感銘はいよいよ深い。(74頁)
無用なものはすべて有害な作用をもつ。(75頁)
ショーペンハウエルの毒舌はいまも真理であつて、わたくしが大学入試における現代国語は、わかものゝ頭を悪くするだけなので廃止しろといふのも、そこで出題される論説文とやらが、ことごとくショーペンハウエルの痛撃する、あいまいな論旨の上になりたつ朦朧体の長文だからである。読んで得るところが何一つない。そんな非生産的な作業がいつまで許されるのだらうか。
私の受験生時代において一番の毒虫は、フランス現代思想とかを紹介してゐる評論家連中であつた。現代のヘーゲルどもである。産科医の息子にして京大で経済学をまなび一時脚光を浴びたが、その後は一向物にならず終つた奴もある。所詮は小物であつた。そのなかでは比較的論旨がわかりやすいとかいはれてゐた蓮実重彦にしても、その代表作とやら『マクシム・デュ・カン論 凡庸な芸術家の肖像』など、「凡庸な芸術家」とは、蓮実自身のことなのだなと読者(若き日のわたくし)に思はせるほど、無用に長たらしく、内容もないものであつたことは、同じ著者の『反日本語論』でも同様であつた。めんだうなので、調べてゐないが、ドーデの『最後の授業』については、従来のまちがつた解釈を踏襲してゐる筈である。
それなのに、仲間褒めをいゝことに、のうのうと今ものさばつてゐる。文科系学部にまなぶ人びとは、いとあはれである。学問の性質じたいが客観性を欠如した曖昧なものであるし(たとへば、フランス現代思想で顕著なものといへば、デリダ、ラカンのごとき。こんなのは全くのデタラメであらう)、大学といふ組織を離れて圧倒的な学識を誇れるほどの経済的・文化的資力もたいていは持たないので、教授・助教授・講師(今はかうは言はないらしいが)の「人脈」とかいふ往往学問をけがす元となるものに生活を頼らざるを得ない。それくらゐなら、医者にでもなつて、自由に、日曜学者でもやつてゐるほうが余程気が利いてゐると思ふのだが。ショーペンハウエルの思想は、モンテーニュの愛した『旧約聖書』「傳道之書」の焼直し。「箴言しんげん」はもちろん、簡潔に短くまとめられた智慧の言葉、といふ意味。
愚者は言詞ことばを衆おほくす(第十章)
傳道者云ふ空くうの空なるかな皆みな空なり。
傳道者は智慧あるが故に恆つねに知識を民に教へたり。彼は心をもちひて尋ね究め許多あまたの箴言を作れり。傳道者は務めて佳美うるはしき言詞ことばを求めたり。その書きしるしたる者は正直ただしくして眞實まことの言語ことばなり
智者の言詞ことばは刺鞭とげむちのごとく會衆の師の釘うちたる釘くぎのごとくにして一人の牧者より出いでし者なり。わが子よ是等これらより訓誡いましめをうけよ。多く書をつくれば竟はてしなし。多く学べば體からだ疲る (第十二章)
むかし東大法学部でわたくしが唯一全授業を聴講した日本政治思想史で、渡辺浩先生が「小林秀雄の『本居宣長』ね、あれを小林秀雄、畢生の作とかいつて日本の文藝評論家はこぞつて大絶賛しましたがね、みんなほんたうに読んだのかな。専門家であれを評価してゐる人は誰一人ゐません。どの一文も意味が通つてゐないし、まるで酔漢の書いた文章だ。なんど読んでも意味がわからないしね、本居宣長といふ人を全く理解してゐない」と、温厚な先生がこんな毒舌を吐くのだと事の意外に学生全員が大笑ひしたことが思ひ出されます。
付記) 宣長の文章は長々派ですが、論争になると、理詰めの上にも理詰めでじぶんの嫌ひだといふ「漢意からごころ」に急接近する矛盾が面白い。伊勢の田舎者めと悪口を言つたのが論争を挑んだ大坂の上田秋成。秋成は短文テキパキ派で、わたくしごのみ。宣長も秋成も共に医師。片手間に国学研究をしてゐた。





