シクラメン 雪のまどべに しづかなり 万太郎
今朝は雪がちらつく日となりました。
雪は、生活の安全には怖い敵ともなりうるものですが、日々の景色に添える風情には欠かせないものです。そしてこの季節のお花と言えば、シクラメン。
昨冬にも、久保田万太郎のシクラメンの句をあげました。お読みでない方のために再掲します。
シクラメン 花のうれひを 葉にわかち
久保田万太郎は、ふるき浅草下町の哀歓をしのんだ劇作家。永井荷風や小山内薫に才能をみいだされ、芥川龍之介とも交流のあった人。現代、その小説戯曲を読もうとする人は絶えてないが、その俳句は、時代を超えて受継がれていくだろうこと、衆目の一致するところ。
入院中に知ったのですが、げんに、マンガさえ出ているのです。
京都精華大学出身で、浅草には縁もゆかりもなかった大高郁子さんというイラストレーターが、偶然、万太郎の存在をしって、万太郎の人生絵本を描いています。
いわゆる「俳人」とかいう人たちの句集はどれも、数頁もよめば辛気臭くなり、読み進める気力が失せてしまうのに、万太郎の句集は、いつまでも読みすすめていかれる、どくとくのワールドがあって、「詩ごころ」をもつ人の例をひとり挙げよといわれれば、真っ先に私は、万太郎に指を屈したい。
しかし、それにしても、「俳句」というものは、いったい何なのでしょう?
万太郎にとって、それは「日記」であった、日々の「覚書」であった、ぽろりとこぼれた「ホンネ」であったと評されています。
私にとって、俳句とは、その時々にじぶんが目をとゞめたものの「写真」であり、文章の冒頭を飾ったり末尾を〆める「花」と考えています。
散文だけの文章には味気がありません。
「詩情」がない人や日々もまた。
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