ことしも、ついに、おおみそか。
なにもかも とられてしまひ 年の暮 明以
今年は自然の猛威に、公私ともども襲われて、この句に私は万感の思いをこめました。すべての努力が、フイに泡となって消え去ってしまったような感覚。しかし、深刻ないっぽうで、「なんかわかる気がする」コミカルな句でもあると思うので、せけんのオトナのみなさん、よかったら口ずさんでみてください。
ことしは、いろいろありました。まづは、大地震。
六月十八日。早朝8時過ぎ、仕事をしようかなと思ったら、ドンと下から突き上げるような衝撃がきて、診療所界隈でもあちこちから一斉に「アアッ!」と喚声が。さいわい、事はなくて済みましたが、あとで気づくと、診療所入口の壁にはヒビが。(現在は補修済み)
ついで大雨。
七月五日。すんでのところで京都も水浸しになるところでした。八瀬では、深夜、大橋のすぐ真下にまで濁流が及んで高野川は氾濫寸前。ギリギリで助かった事実をこの目で目撃しました。
そして九月はじめの台風。じぶんの目で確かめたかぎり、鴨川ぞいや東山で、多くの樹々がなぎ倒されていました。
さいごに十一月の私の病気(TIA)。
何事も 胸にをさめて 秋の暮 万太郎
病気も自然現象の乱れという点でちがいはありません。うまれて初めての「天災被害」です。しかし、退院して3週間後、発症して6週間後の12月28日ぐらいからようやく「ふつう」かな? と思えるほどにまで恢復してきた感じです。患者の私にしかわからないけれども、それでかまいません。独りうれしい「実感」です。たおれかけても、ギリギリでもち直すことができました。
「天災は忘れたころにやってくる」と陰気なことを、むかし、寺田寅彦は講演でのべたそうですが、きょう12月31日の大晦日は寺田寅彦の83回めのご命日。
しかし、日日に新たなり、といいます。天災被害にいつまで萎縮していても始まりません。不易流行、変化は受け入れていかなければなりません。大病は私の人生の節目となりました。来年からは、すこしづつ、改めるべきは改めて、これまでとはちがう、びみょうな軌道修正を施した、新たな人生の目標設定と新たな診療スタイルで、少しづつあゆみを再開していきたいと考えています。
天災は 忘れたきもの 寅彦忌 明以
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