三月もきょうでおわり。
旧暦で三月といえば、昔は、元日を立春の前後からはじめて一月、二月、三月が「春」と極めていましたから、「三月尽」といえば、もうきょうで花の春もおわりだと、詩をよむ人は、たいそう春を惜しんだものなのだそうです(新暦では四月下旬となります)。
行春を近江の人とをしみける 芭蕉
芭蕉もそういってるねえ、とお思いの方もあるでしょうが、この感性はあっぱれ、「ニッポン人の感性」ですよと調子に乗って言う人があるとすれば、待てよ、と思います。
和歌も俳句もその親は漢詩。日本人の詩歌の感情の源泉は万葉集とかみてきたようなことをいう人がありますが、なにはともあれ、平安の宮廷歌人ならば学んだ詩文は『白氏文集』。古代中世これを読まなかった日本人はいない。だから「春惜しむ」という感情は、じつは中国製ときけばおどろく人がいるかもしれません。が、ほんとうのことです。
漢詩の本をひもとけば、中国にもし歳時記というものがあるとすれば、それは春と秋に分厚く、夏冬は極端に薄いものになろうと言っています。中国の春は短い。それだけに愛惜の念がいっそう強まったもののようです。なるほどねえ。
三月三十日 題慈恩寺 白居易
慈恩春色今朝盡 慈恩寺の花の色もきょうまでか
盡日徘徊倚寺門 いちにちぶらぶらして寺門にたたずむ私
惆悵春歸留不得 かなしや春がいってしまうことを誰もとめられない
紫藤花下漸黄昏 藤のむらさきをながめていたらもう夕闇がせまってきたよ
芭蕉は、白楽天の最後の詩句から想をえて、つぎの名句を生んでいます。
草臥て宿かる比や藤の花 芭蕉
「和製」とは、こういうものなのですね。
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