読書の愉しみ

むかし、小学校のころから夏休みの宿題には、読書感想文なるものがあつたと記憶する。碌な思ひ出しかない。文庫本の後に書いてある解説を引写して適当に仕上げてしまふのが関の山であつた。だいたい、小学生、中学生、いや高校生くらゐにあつても、作文といふものは、相当の修業をしないと、つゞれないものなのである。そのことを知つてか知らずか、教師は生徒に難行を押付けるから、こどもは本を読むのがいやになるのである。

文を草するのと読むのとは別個の才能で、読むに長けても書けない人はいくらもあるし(数でいへば、こちらのほうが圧倒的に多い)、本など碌に読んでゐなくても能文を書ける人は極少数ながらある。私はどちらかといふと後者のほうで、文章を書くうへでの最初の師匠は、今おもへば芥川龍之介である。このことはまた別の機会にしるす。

本を読むよろこび。これを知つたのは、私は遅い。わたくしは今では巾ひろく読むが、もともとは狭小な興味しか持合はせてをらず、気に入つたものがあれば、それをくりかへしくりかへし味読することを好んだ。たとへば小学校時代では『石の花』である。みなしごを、人里離れて森の中にひとり住むがんこな石工の爺さんが、じぶんの息子として育て、息子は石工としての才能を徐々に開花させていくといふロシアの話である。爺さんが「森の中で遊んでおいで」とみなしごに弁当をもたせてやる箇所をとりわけ私は好んだ。かうやつて健康を恢復したみなしごはすくすく成長し、わかものには美しい婚約者ができるのだが、話の後半は、森の女王だかがそれを妬んでうんぬんといふ「ファンタジー」となり、しかし、私はこれを「非現実的」なるものと峻拒して読まず、前半のみをくりかへしくりかへし愛読したのであつた。

はるかむかし、日本でも、東海道を90日間かけて京にのぼり、東国のゐなかでは不十分にしか読めなかつた源氏物語を思ふ存分読めると期待に胸をふくらませてゐた少女があつた。叔母さんといふ人が「まあ、ほんたうにきれいに大きくなつたこと。さうねえ、あなたは実用本などは欲しくないのでせうから、あなたが心底ほしい(ゆかし)と思ふものを差上げませうね」とお櫃ひつに入つた源氏物語五十四帖をくれる。たいへん豪勢なプレゼントである。

得て歸かへる心地の嬉しさぞいみじきや。はしるはしる、わづかに見つゝ心も得ず心もとなく思ふ源氏を、一の巻よりして、人もまじらず、几帳の内にうち臥してひき出でつゝ見る心地、后の位も何にかはせむ。晝ひるは日ぐらし夜は目のさめたるかぎり火を近くともしてこれを見るよりほかのことなし

『更級日記』の最も感動的なシーンである。かういふ件くだりを読むと、本をよむ歓びが時代を超えて、この世に伝つてきて、真に胸にせまるのである。こゝも私がをりをりに、くりかへしくりかへし飽かず読む箇所である。ときに涙が不覚にもこぼれることがある。

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