謹啓
例年よりも寒かった冬が去り、まち望んだ春が参って、みなさまがたには、益益ご清栄のことと、お慶び申し上げます。
ふしぎな縁あって、としかわ心の診療所を、平成29(2017)年5月1日より、京都は中京、烏丸蛸薬師の地で、ひらくこととなりました。
わづかではございますが、10年余の医師生活でつよく感じておりますことは、現代は、病気と闘う、ということもさることながら、不安と戦う、という場面が、医療では多く見受けられる、ということです。
精神科に話をかぎれば、心療内科、精神科の外来には、人生相談にちかい問題で、来院される方も多ございます。
しかし、それをお門違いだよ、と私は思いません。
なぜならば、気軽に何か、ひとに悩みを相談できる、そんな場所が、日本には意外とすくないと思うからです。
建前やキレイゴトしか、発言することを許さない世間の狭量が、すくなくない数の人びとをゆえなく迫害していると思っています。
あくまでも医師のたちばから、ごくごく常識的な答しかご用意できないかも知れませんが、ひとと話をするだけで、気が軽くなる。そういうことはあり、私でよければ話をきく、というのも、精神科医、心療内科医のたいせつな社会的役割ではないかと考えております(人生の進路相談。家族相談。職業相談。学業相談。恋愛相談)。
…でも、じぶんの望み通りの答を出してくれなければ許さない、という自己中な人は、ごめんなさい。私は、すべての人におべっかの舌をだす辻占ではありませんので。
なんら問題は、一見なさそうに見える人の相談のなかに、時間をかけて診て参りますうち、病気の種がひそんでいる場合もございます。或はなんらかの発達特性があることに気づかされることもございます。虚心に、患者さんの訴えを聞く、ということが、たいせつになってまいるわけです。
患者さんを多く見ているうち、人にはパターンというものがあるなあ、と思うと同時に、人は、ひとの数だけ違うなあ、というのが正直な私の感想です。
人の性格はさまざまで、これはどう考えても、病気の範疇だなと思えるケース以外は、簡単にひとに病名をつけたくはない。基本的に健康とみなして、病人の数を安易に増やしてはいけないと思っております。
一例をあげれば、もともと躁鬱病自体がまれな疾患であるというのに、気分の波がすこしでもあれば、直ちにそれは「双極性II型障害」だとか「双極性感情障害」だとか世迷言をほざく精神科医がふえている当世は、じつに憂うべき時代でしょう。
まことにいたらぬ身ではございますが、ご愛顧を賜りますれば、さいわいでございます。
どうか、よろしく、お願いを申し上げます。
としかわ心の診療所 所長
利川 嘉明 拝
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