年の暮がいよいよ迫ってきましたが、ひっそりしたまちなかで、ひとり静にしごとをするのは、じつにきもちのよいものです。
日々業務に追われていると、じぶんのしてきた仕事を見直す時間がもてません。
カルテも書きっぱなしではなく、時にふれて、読み返してみると、じつに勉強になります。受診される患者さんの層や姿というものが、よりクッキリと見えてきます。
紅茶を飲みながら、時間をかけてゆっくり仕事をしていると、永井荷風(1879-1959)のエッセイの一節を、思い出します。
… 「紅茶の後」とは、静な日の昼過ぎ、紙よりも薄い支那焼の器に味ふ暖国の茶の一杯に、いささかのコニヤック酒をまぜ、或はまた檸檬(シトロン)の実の一そぎを浮べさせて殊更に刺激の薫りを強くし、まどろみ勝ちなる心を呼び覚して、とりとめも無き事を書くといふ意味である。 (『紅茶の後』明治44年)
いかにも美しく、おいしそうに想像される描写で、昔から私の脳中を去らない一節です。さすがは荷風散人。
永井荷風は、さいきん、俳人としても、見直されています。
俳句というものは、いやみな文芸のひとつで、正岡子規とかそのあとの高浜虚子、ホトトギスに拠った東大出の連中が作ったものは、だいたいがつまらないし、一読スッとわからないものばかりです。
しかし、もともと俳句は、文人に必須のたしなみで、その点、荷風や万太郎の句は、どれを読んでもあじわいぶかく、平明にして余韻があると思います。
『自選 荷風百句』(昭和13年)から、「冬之部」をぱらぱら繰ってみましょう。
よみさしの小本ふせたる炬燵哉
小机に墨摺る音や夜半の冬
門を出て行先まどふ雪見かな
寒月やいよいよ冴えて風の声
昼間から錠さす門の落葉哉
最後の一句は、やぼな解説ながら、終日家にこもって読書、学問を娯しむ、文人荷風のようすを伝えています。ひとりぬくぬくと冬日をおくる楽しみは、もとより蕪村(1716-84)が上手とするところ。蕪村は晩年、画業で生計を立てながら、京都のまちなかに隠れ住んでいました。
桃源の路次の細さよ冬ごもり
うずみ火や我かくれ家も雪の中
名句を並べたうえで、おこがましいこと甚だしいのですが、しかたがないので(?)、私も一句よんでみます。駄句をあわれんでください。
なか京にて
行年を ひとり静に 送りけり
ふみとりて こころを澄ます 年の暮
そら澄みて まち静なり 日向ぼこ 明以
皆さまにも、どうか、よいお年を、お迎えくださいませ。
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