知りたくない権利

知りたくない権利 閑居小人

むかし法律を学んでいた時分、国民には「知る権利」があるということを教えられて、民主主義の礎と承知していた。ところが、老いて医学生になった時、患者には「知りたくない権利」もあると大学の授業で聞かされて、驚倒したおぼえがある。

真実を知りたくて医者にかかっておきながら、いやなことなら聞きたくないという。人の身勝手にも程があると、これは嗤うのが常識というものであろうのに、それは「権利」と揃えて口をとがらす人の群れがある。開いた口が塞がらないとは、このことだ。

泰平と繁栄に嘉された稀代のみよに生を享けし僥倖を忘れ、古稀を永らえても、まさか自分が岩(ガン)で死ぬとは業腹だ、よもや耄碌するとは青天の霹靂と大騒ぎするのは、平和ボケと誹られても無理あるまいに、これを一向承知せぬ人が多いのは、慾深もいいところ。

医者は所詮脛に傷持つ身、衆寡敵せず、これら「正義」の人には勝てませぬ。できる抵抗としては、年寄れバ昔からそんなものデスと低い声で告げるより外、しかたがない。

アルツハイマー病の人の脳をいくつも剖検して、これは縮んで「サルの脳」になっておると言った日本の医者があるが、こんなつぶやきは、世間の人の耳にはトンと入らない。猿とは何か、よくも言ったな、許すまいぞ、痴呆老人に「尊厳」を! と厚生労働省なぞは、痴呆に代えて「認知症」とか、意味のようわからん新語を十年ほど前にひねったが、ハア、あほらし、百五十年前にドイツのグリム兄弟のこさえた童話のほうが、よほど明白な真実を語っておる。一読ストンと腑に落ちる話だから、ここに皆さんにも広くご紹介する次第。

******

神さまは世界をおつくりになったあと、すべての生きものに寿命を定めようとなさいました。

そこへろばが来て、

「神さま、わたしはどのくらい生きるのでしょうか」と聞きました。

「三十年」と神さまが答えました。「それでいいか」。

「とんでもない」とろばが返事をしました。「それでは長すぎます。思ってもみてください、わたしの暮らしはひどく骨が折れます。朝から晩まで重い荷物を運び、穀物のふくろをいくつも粉ひき場へひきずっていって、ほかのものたちがパンを食べられるようにしているのです。でも、はげますとか元気づけるとかいっては、なぐられたり、けとばされたりするだけです。その長すぎる年月を、どうかすこしばかり減らしてください」。それを聞いて、神さまはかわいそうに思い、十八年減らしてやりました。ろばが安心して立ちさると、犬がやってきました。

「おまえはどのくらい生きたいか」と神さまは犬に聞きました。「ろばには三十年は長すぎたが、おまえはそれでいいだろう」。

「神さま」と犬が答えて言いました。「それは神さまのおぼしめしですか。思ってもみてください、わたしがどんなに走りまわらなくてはならないものか。足がそんなに長くはもちません。それに、いずれ声がかれてほえられなくなり、そのうえ歯がぬけてかみつけなくなったら、あとはもう、すみからすみをうろうろして、うなるよりほか能がありません。

神さまは犬の言い分をもっともだと思い、十二年減らしてやりました。そのあと猿がやってきました。

「おまえはきっと、三十年生きたいだろうな」と神さまは猿に言いました。「ろばや犬とちがって働く必要がないし、いつもごきげんだからな」。

「とんでもない」と猿が答えて言いました。「そう見えるだけで、じつはちがうんです。きびのかゆが降ってきたとしても、そいつを食べるスプーンがありません。それに、いつもおかしなことをしたり、しかめっつらをしたりして、人を笑わせなくてはなりません。それでりんごをもらっても、いざかんでみると、きまってすっぱいんです。おどけの裏に悲しみあり、とはよく言ったものです。三十年もそんなことをやってはいられません」。神さまはめぐみをたれて、十年減らしてやりました。

いちばんしまいに人間がやってきました。人間は楽しそうで、健やかで、元気いっぱいでした。そして寿命を決めてください、と神さまにたのみました。

「おまえは三十年生きなさい」と神さまが言いました。「それでいいか」。

「なんて短いんでしょう」と人間は大きな声で言いました。「やっと家を建てて、自分のかまどに火をともし、木を植えて、その木に花がさき実がなって、いざ人生を楽しもうと思ったところで、もう死ななければならないのですか。神さま、どうかわたしの年月をのばしてください」。

「ろばの十八年を足してやろう」と神さまが言いました。

「それでは足りません」と人間が答えました。

「犬の十二年もおまえにやろう」。

「まだまだすくなすぎます」。

「よし」と神さまが言いました。「猿の十年もやることにしよう。だが、それでおしまいだぞ」。人間は立ちさりましたが、でも満足してはいませんでした。

こういうわけで人間は、七十年生きることになりました。最初の三十年はもとからの人間の分です。これはすぐにすぎさります。そのあいだ人間は、健やかで、ほがらかで、楽しく仕事をし、自分の人生を楽しみます。そのあとにつづくのが、ろばの十八年です。そのあいだ人間は、次から次へと重荷をしょわされ、ほかの人たちを養う穀物を運ばなくてはなりません。いっしょうけんめいつくした報いは、なぐったりけったりです。それから犬の十二年がやってきます。そのあいだ人間は、すみのほうにころがってうなっているのですが、歯がないのでもうかむことはできません。この年月がすぎると、しめくくりに猿の十年がやってきます。このときになると人間は、頭がぼけておろかになり、ばかげたことをして、子どもたちにあざけられます。

(野村泫訳「寿命」)

平成24年5月筆

すっかり紅葉もおわり。みづの澄んだ高野川で

 

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