板谷波山展

私が出かける美術館と言えば、泉屋博古館と最近はもうきまっている。静謐な時間と空間が保証されているからだ。

鑑賞してくたびれず、出かけてちょうどよい気晴らしになる美術館といえば、ここしかない。他の美術館はたいてい、鑑賞している間にいやになる。

人出が沢山とか。

歩く距離が長いとか。

階段をのぼりおりせねばならぬとか。

そも作品鑑賞の腰かけに良い上等な椅子がしつらえられておらぬとか。

鑑賞者への気遣いがまるでない設計のものばかりだ。美術を鑑賞するということが、いかに贅沢な行為であり時間なのか、それを大切にしようという愛に欠けている。だから展覧会の内容がよさそうだなとは思っても、たいていのことでは私の足は向きそうもない。

近時、大いに感動した展覧会が、板谷波山展。これはよかった。すこしなみだが出そうになるほどに、よかった。

板谷波山(いたや・はざん 1872-1963)という人をこの展覧会で初めて知った。御前制作をするほど、その陶磁を皇室を中心とする支配階層から愛されていた。だから要は戦前を生きた人である。東京藝大を出て美術教師をしていたが、その安楽の地位を捨ててじぶんの窯をつくり、苦心惨憺して、優美な作をいくつも残した。最上等なものは皇室や住友が破格の値段で買い上げたという。

波山といえば、葆光彩磁という独特の風合いのあるものが特徴なのだそうだが、きれいに出来すぎているものはかえってつまらない。波山は、草花を文字通り愛した人で、八つ手やあじさい、蕗の葉、百合などを大胆にあしらったものに野性味があり、私には良いと思われた。

展覧会に感動したというのは、波山という人が芸術家なのだなとすなおに思われたから。磁器の制作以外、「世の中のことは何も考えない」でいたいとか、犬猫や自然のいきものを文字通り愛していたとか、子供にはすべて花の名前をつけたとか、ふだんはぼろをつけても、外出時は常にいい着物を着て身なりを整えるおしゃれ好きであったとか、これらすべてが私ごのみの人である。小医とはちがって、じつに男前でもある。

じぶんの意に適った磁器を作り上げられるようになるまで、貧窮したという。やっとできたいい物でも、買う人が波山の足元をみて「色がつくか」(安くできるか)と訊いてきたという話が、人間のいやらしさが出ていて、じつにおもしろい。

じぶんのすきで買うのであれば、芸術家の言い値で買ってやるのが客の心意気だろうと私には思われるのだが、そうする人はいないのが世の常なのである。デハ、売らぬと意地を張った波山もおもしろい。きょうのお金に困っている妻子がお腹を空かせて待っているというのに。

展覧会カタログに「室内装飾としての波山作品」という項目があり、「往時の波山コレクターらは、作品を室内に飾り、日々愛でていたのではないだろうか」という言わずもがなの一文があり、私をわらわせた。

そんなことは当然であり、美術館のガラスケースに入れてしまった瞬間、美術は美術でなくなってしまうのである。

ながめるだけの美術愛好など、にせの愛好である。美術館には行くがふうんと眺めているだけの人は山ほどあるが、これらは美術になんの縁もない人である。美術に縁のある人とは美術品を「買う」人である。「買って」初めて美術と縁は結ばれるのである。恋愛と似て、きれいごとでは済まぬから、先にあげた話は興趣に尽きないものを提供していると思われるのである。

 

 

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