定番

君子ハ辺幅ヲ飾ラズ

漢籍から出た言葉だが、詳細な由来を知らぬ。山本夏彦のエッセイを読んでゐたら、出てきたので、自然頭に馴染んで、爾来頭から去らないまゝ二十年以上になる。エッセイのどの頁にあつたか、このまへ探したが、見当たらないので、あきらめた。それくらゐこの言葉は私の血肉と化してゐる。

本意ほいは、奈辺なへんにあるかといふと、わたくしは事ある毎に、エレガンスとは何か? とか「美」らしきものごとを語つてゐるが、ほんらい、男はファッションなど軽薄な事柄を喋喋してゐてはならぬといふことなのである。しかし、これはあきらかに矛盾である。…やうに見えて実はさうではない。

男はバンカラでいゝのだと考へる人があるが、蛮人である。こどもの内ならそれでもいゝが、大人になれば、汚い服装は相手に失礼になる。だから、キチンとしたナリをしなければならぬ。だから、辺幅ヲ飾ルやうでゐて、飾ラヌやうな地味でおとなしいが、上質なものに服装は自然落着くのである。趣味は自然クラシック(古典的)となり、流行を追つたものは排される。しかしいゝかげん棺桶に片足を突つ込んでゐるやうな爺も、成金ほど、はやりのラフな服装をしたがるから、困つたものである。四条烏丸にはそのやうな成金老夫婦ばかりがウヨウヨしてゐるから、目をそむけて歩行あるくやうにしてゐる。

今日は何を着よう? かういふことに、男は頭を悩ませないやうにしたいものである。男には、なすべき大事あり。ファッションに関して頭を費やすべき時間は、最小限、ゼロでなければならない。だから、毎日毎日、身につけるべきものは、朝起きた時から既に極きまつてゐるやうにしたい。ゆゑに、なにごとにも、「定番」といふものをきめたい。

さういふ「習慣」こそが、実は、男のオシャレや値打をきめてゐるのである。

では、質問。そのためには、どうすればいゝか? 

みなさん、答を持つてゐますか? 

ごくかんたんに答をいふと、かうである。靴を七足。靴下も七足。下着も七揃(下のみ。上は着ない。肌着は下に着ないことは、そうするものと噂には聞いてゐたが、東大法学部時代、天下の秀才、和仁陽わに・あきら助教授がすゞしい貌をして、当然のごとくさうしてゐるのを実際に横に見て、へえと、ならつた)。ボタンダウンシャツ(これは私の好み)を七枚。スーツを七セット。ハンケチも白を七枚。これで1週間回す。4回やつて、1カ月。ほころびが出たら、替える。一日履き終へた革靴にはシューキーパーを入れよう。これも七つ。かうやつて着回すと、アホ程、衣服は長持ちする。これをしないから、みんな貧乏たらしい服装になるのである。

このことを若年の私に教へてくれた映画こそ、何を隠そう、『ナインハーフ Nine 1/2 Weeks』(1986年)であつた。ミッキー・ロークのなんとハンサムであつたこと。舞台はニューヨークで、女はアート・ギャラリーで働くセクシー・ウーマンである(キム・ベイシンガー)。中華料理店の店先で、ロークがにやりとすると、ベイシンガーは雷に打たれたやうに、濡れた瞳で、ひとめぼれ。…こんなこと、あるわけないよ。(笑)

それからまた何日から経った日曜日、蚤の市で、ベイシンガーはアンティークのスカーフを買はうとするが高いのでやめにしたら、ロークが陰でそれをみて買つたんだな(そのシーンはない)。それからロークがベイシンガーに「君に一度会つたよね。ホラ、中華料理店の店先で」とナンパしたら、ベイシンガーはノコノコついていき、イタリアンの昼飯を一緒にした後、ロークは帰り道、そのスカーフを魔法のやうに取出して、ベイシンガーの首に巻いてやる。「君がほしいものはこれだつたね」とさゝやいて。これだけしたら、落ちない女はないだらうといふ感じで、ストーリーは始まる。出来過ぎで笑へるが、映像自体がシッカリしてゐるせいか、リアルさは失はれない。不思議である。

映画の話はいろいろしたいが、肝心のところだけに話を絞ると、ミッキー・ロークは、どうも株屋らしい。ウォール街で生きてゐる野獣である。しかし、そんな男に、優雅に女あそびなど、できる精神的ゆとりがあるのか、さういふことは問はれない。たゞ、ロークはハンサムだからモテる、だから女ずきだといふ、単純な方程式で人物設定されてゐるやうである。なんだか、007ことジェームス・ボンドに似てゐる。そして恋愛にはカネがかゝるから、カネ儲けの仕事に就いてをり、遊び金ならうなるほど持つてゐるだらうといふことらしい。またストレスのかゝる仕事に就いてゐるからセックスの情熱も凄いのは当然でせう? といふ前提なのであらうが、リアルさは失わはれないのは監督の技なのか、撮影の質感のせゐなのか、ふたりの男優女優がうまいせゐなのか、それはわからない。不思議である。

それはさうと、ロークはわざと部屋を留守にすると、退屈になつたベイシンガーは、ロークのクローゼットを開けて、ロークの昔の彼女の写真などを発見したりするのであるが、そこに、ロークのオシャレの秘密を、私は発見したわけである。ずらっと横に並んだ何着ものスーツ。スーツの下ごとに並べられたワイシャツの山。ネクタイ。そして靴の列。あゝ、成程と。かうすれば、毎日、何を着ようかと考へる余地がなくなると。かういふ男に自分もならうときめた。

コリン・ファースが出演した映画『シングルマン』(2009年)でも、主役のファースは、この手のオシャレをしてゐる。私は、30歳で世に出てから、この手のオシャレを実行してきたが、医者になると、スーツなどには興味をまるで失つてしまひ、革靴も窮屈に感じて、今は、リーガル・スニーカーに、ブルックス・ブラザーズのコットンスラックス、蝶屋のボタンダウンシャツ、銀座田屋のボウタイ、夏場を除くとARAMISのカーディガン、冬はインヴァネスコート、頭にボルサリーノと独特のスタイルを貫き始めた。帽子は20歳の時の好みが復活したものである。百年前、大正時代の格好をしてゐることになる。これからどういふ、「定番」をきめていくのか、じぶんでもわからないところがあるが、「じぶん」といふものを持たない成金の格好だけはしない積りである。

 

 

 

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