京女

東男あづまをとこに京女きょうをんな

私はこどものころから男がきらひで、今も関心がなく、関心あるのは女のことばかりだから(50歳を過ぎてから、やうやく女よりも可憐な草花に目が向くやうになつた)、東男がどういふものか、全くどうでもいゝのだけれども、京女がどういふものか、それについては、京都に10年も住むと、かうだと言へる。

京女は痩せてゐる。胸はぺつたんこで、お尻もふつくらしてゐない。ガリガリではないが、とにかく細身である。髪は長くて優美など、ロマンチックな想像をしてはいけない。むしろ、活動的で、短めである。この点、娘といへども、皆「おばちゃん」予備軍である。背丈もあまり高いのはゐない。かといつて低すぎもしない。

がくもんをする程、賢くはないが、さりとて愚かといふわけでもない。実用の学にはたいへん長けているから、油断は絶対に禁物である。算盤、習字、事務仕事をテキパキこなす。この方面では、たいそう弁も立つから(「そない言ひますケド…」)、おとなしく任せておくに若くはない。学歴としては、商業高校卒、短大卒レベルである。四大卒はよけいな勉強をしてゐるから、かへつて伝統的な京女には似つかはしくない。

気性としては私のきらひな男に似てゐる。女性らしくない。祇園の水に長いこと浸かつてゐた性悪女の口から直接聞いたから間違ひなからう。品があるかといふと、似たものがあるだけで、真の品性ではない。私じしん、きれいな京都弁など、女の口から耳にしたことなど絶えてない。地方人ばかりの芸舞妓ばかりなのだから、それも当然か。むしろ、京都を離れた、大阪の船場言葉にこそ、聞き惚れるやうな関西弁は保存されてゐるやうに思はれる。

さうさう、大事なことを忘れてゐた。京女は美人か、といふことである。さうでないといへば角が立つから、不美人ではないと言つておく。しかし、真にすなほで健やかなのはゐないから、みな独特の険が顔に見え隠れする。これぞ女の美なのであると観念するのが男の甲斐性といふのなら、私はゲイにでも生れついたがよかつたらう。私はこどものころから女の意地悪さを憎む。女は女児のころから意地悪なのである。しつこい私は決して忘れはしない。私は聖女を求めてゐるが、聖女はきまつて地味で、美人ではない。しかるに私は派手でうつくしい上、心根まで優しい女をもとめるから、欲が深過ぎるのだらう。最後は脱線した。

 

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