大丸へ買物にいく途中に八百屋がある。
私は、ここで、をりおり買物をする。
コンクリートの建物ばかりが通りにたち並ぶ中、この一軒のみが、崩れそうになりつつ、瓦屋根の昔の家屋のままで商売を続けてゐる。それがゆかしい。
春に金柑を買つてからの馴染である。「どれでもよろしいやん」。商品の味には自信をもつてゐるらしい親父は言ふが、私は物は選えるものと心得てゐるから、けつして承知しない。かならずどれが旨そうかじぶんの目で信じたものを選えつて買ふ。「これとこれ」。これは茶道で習つた「目利き」といふことの応用と勝手にこころ得てゐる。
金柑のつぎは、デコポン、いまの季節が李すももである。私がながめてゐると「出始め」ですわ、と親父。
李すもも。それで自然、思ひ出されるフレーズが、桃李不言下自成蹊(とうりものいはずとも、もとおのづからみちをなす)。
桃も李も、中国からわたつてきたものださうだ。その美味をもとめて人が取りにくるから、自然途ができる、人も、そのうるはしい人格で、他の人を自然寄せ付けるやうな人物でありたいものだといふ。良寛さまの座右の銘が「一生成香」であつたといふに通じるか、とフト思つた。
参考、萬羽啓吾『良寛 文人の書』(新典社、2007年)





