鬱状態になつて困つたのは、外出できる体力が日日に喪うしなはれていつたことですね。
「ご免。荒井さん。たのむわ」
何度かう頼みごとをしたでせう。イヤな顔ひとつせずこなしてくれた荒井さんに茲ここで改めて感謝します。
鬱病というと、いまだに「きもち」「精神」の問題と考へて病院を受診する人が絶えないのですが、違ひます。「からだ」「内科」の問題といふのが医学的には本質的な答です。ときに死にたいと思ふ「きもち」など、希死念慮Selbstmord-ideeではありません。朝起きたとき、死んでもいいからこの恐怖から解放されたいと「からだ」をドキンと震はせる程ほどおそろしい、無言の体感が希死念慮です(鬱病の自殺はだから朝に多い)。昼寝もせず24時間死ぬことばかり具体的に考へ続けるのが希死念慮です。容易に「ことば」で説明できるものは、希死念慮ではないのです。体重もあきらかに痩せていかなければなりません。ぷくぷくしたほつぺたをして、キシネンがあります、などと言つてゐる小娘こむすめは「健康」そのものです。私はいままで鼻で嗤わらつて来ましたが、じぶんの経験を経へた以上、これから益益容赦なく嗤つていく心算つもりです。
鬱状態といつても、私のばあいは躁鬱病(MDI)ですが、近い内、これらについて改めて説明するエッセイを用意したいと思ひます。鬱病になつて死の淵ふちから生還した精神科医は、わたくしの外にも、いくらもいらつしゃるやうなので、さうした著書も読んでから書きたいと考へてゐます。
しかし、健康をとりもどして何よりもうれしいのが、花市さんと大丸京都店内の老松さんへ、出かける元気が再び湧いてきたことですね。花を買つて帰るよろこび、点茶の伴ともたる主菓子おもがしを選んで帰るたのしみ、これが失はれた時は死ぬ時だと迄、思ひ詰めさせられてゐましたのでね。ほんたうにうれしいです。
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