アラン・パーカー。Sir Alan Parker, 1944-2020.
わたくし共の年代の人間には、まづNHKで放送されたりした『小さな恋のメロディ』の脚本家、幼いジョディー・フォスターが歌姫役で出た『ダウンタウン物語』の監督で有名であり、わたくしが14歳のときに初めてひとりで梅田に出かけて観に行つた映画として覚えてゐる、ニューヨークを舞台にした青春映画『フェーム』(1980年)の監督として、記憶に残つてゐます。このサントラ盤はくりかへし何度聴いたか、数へきれません。
ほかにも『ミッドナイト・エクスプレス』や『バーディ』、『ミシシッピー・バーニング』、きのふ紹介した関種子の「雨にさく花」を冒頭に置いた『愛と哀しみの旅路 Come See the Paradise』、『ザ・コミットメンツ』を挙げないといけないのでせうが、どういふわけか、わたくしはこれをよけて、いまだに観てゐません。
いはゆる「ヒューマン・ドラマ」を終生描かうとしてゐた映画監督だつたと思ひます。わたくしがこの年まで見て来た映画の中で、いちばんに評価するのが『アンジェラの灰 Angela’s Ashes』で、むろん他にすばらしい映画が無数にあるのは承知のうへで、それでも、これに勝る映画はないだらうと思つてゐます(音楽はジョン・ウィリアムス)。富貴と安楽のなかに人間のほんしつはなく、貧窮と困難のなかにこそ見出されるといふのは、この映画がごらくのうちにおしへてくれるでせう。
けふ、書店に行きましたら、岩波の『図書』が置いてあり、昼飯をQUATROで食べながら、パラパラと繰つてゐますと、老害いがいの何物でもない人間に「映画というものを本格的に擁護したい」と題するインタビューを掲載する機会を喜んで与へてゐる岩波編集部に呆れ果てました。東大なかよし倶楽部以外のなにものでもないでせう。漱石以来の悪しき伝統が、岩波書店には脈脈と受継がれてをつて、ほんたうに気色の悪い書肆です。
映画…。擁護…。
「擁護」は、法廷や政治に関する言葉です。しかし、映画は娯楽いがいの何物でもありません。映画は擁護すべきものではありません。擁護の埒外にあるもので、大衆が愛するか、愛さないかだけが問題です。理屈をこねくりまはす媒体ではありません。天才のみが語る資格のある世界です。東大教授ごときが、いつたい何を言つとるのやら。いまはとほく既に亡き淀川長治氏は、蓮実重彦などの似非インテリを心底きらつたのですが、こいつらはほんたうに懲りない連中です。





