労働者だけの国 私の政治論

親父がこの4月に死に、私もあと何年、この世にゐてをられるのだらうと考へることが増えた。さうなると、日本の将来など、もはやどうでもいゝわけであるが、この世に生を享けてゐるかぎり、少しは憂国の念もある。

ちかごろとなつては、たれもいふ人がゐなくなつてしまつたが、ある年齢以上の人たちなら、こんなことをキット聞いたはずである。すなはち、一流大学を卒業して一流企業に就職する。或は国家上級公務員となつて霞が関の一流官庁に入省する。それには東大が一番だ。或は医学部に這入つてお医者になる。これが「エリート」だと。

いまおもへば何が「エリート」なもんかい。みんな只の「労働者」ぢやないか。労働者は死ぬまで働かなければならない。国際標準で「老人(高齢者)」の定義は65歳と極つてゐるものを、日本ではそれぢや「若い」といふので、「定年」を延ばさうといふのである。75歳まで働いちや健康寿命が尽きちまふといふに。さうしてそれに誰も反対しない。笑ひ話ぢやないぜ。いゝことだとやつてゐる。どこまで貧乏人根性が世の上から下までを覆つてゐるのであらう。こんな寒貧な国からは「頭によゆうがないから」文化も文明も何も生まれてきやしない。

百歩ゆずらう、働くはいゝとして、そもそも、人間のはたらく場所が将来確保されてゐるのか、どうか、それ自体が既にあやしいぢやないか。わたくしはこのまへ見たのである。駅にある無人のコンビニを。勝手に店の木戸をくゞつて、店の商品をとり、ICOCAだかPayPayだかで決済して、終つたらまた木戸をくゞつて出ていけといふのである。

いまはたかゞ飯屋、たかゞ居酒屋でも、すぐ近くに店員が突立つてゐるといふに、タブレットだか、調子に乗つたところでは、客にじぶんのスマホを使つて注文をいれろといふところさへある。店員ども、こいつらは何のために配置されてゐるのだらう? いまのところは配膳とお勘定係で済んでゐる。しかし、そのうち、かれらはキット用済みとなり、ロボットがお客を出迎えることになるだらう。さうなつたらざまあみろ、いい気味きびである。現に鉄道駅ではさうなつてゐる。切符を切る駅員はもう姿を消して久しい。用があつたら、呼鈴を押せと表示があつて、駅員はゐるのかゐないのだか、奥に引込んだまゝである。いつたい何のしごとをしてゐるんだか。

全体に人間のする仕事は「高度」なものとなるとすれば、それで聞こえはいゝが、ならば「コンマ以下」の人間たちはどうすればいゝといふのだ? わづかな職業もあたへられず、無学無職無産の「プロレタリアート」が無限大に増殖してくることになりはしないか? わたくしはかれらが21世紀のラッダイト運動(IT企業をぶつ壊す。立花孝志は、NHKなど相手にせず、かういふ仕事でもすればいゝのに)でも起こせばいゝと夢想してゐるが、どうせだめだらう。かれらは腑抜けでそれだけの胆力はなさゝうだから。

わたくしは、医者のしごとをじぶんの天職と感じ嬉々として努めてきたが、或時からびみようでかすかな違和感を感じはじめるやうになつた。なにか他になすべきことが自分には残されてゐるのではないか、とか、義務だけで生きてきた人生はもうたくさんではないか、とかである。だから、じぶんの息子にも医者はいゝぞ、ぜひともおまへも医者になれといふ自信がない(法律家が向かないのは遺伝上明らかなので、最初から勧めない)。

人とうまれて甲斐あるしごとゝいへば、わたくしは、時間をかけて、それは「アート」だと確信するやうになつた。学問、藝術のことである。古来アリストテレスの思想としてゆうめいである。労働、それは婢はしためのすることで、人間は「観想(テオーリア)」をこそ、仕事とするといふものである。平等思想の観点からこれを誹謗中傷しても始まらない。現実にはアリストテレスのいふがごとき少数精鋭の努力の上に人類の歴史は発展してきたのである。卑近な例では、アメリカの投資家ウォーレン・バフェットの盟友チャーリー・マンガーが、同じことを言つてゐる。「投資といふものは大変難しいが、日日読書をし続けて知識を蓄へ続けてゐる限り、かならず成功することができ、ひとはこれつぽつちも働く必要など、ないのである」。マンガーはきはめて質素な私生活をしつゝ莫大な金額の寄付行為といふ「善」をなして近頃亡くなつた。これは私の理想としてきた中世から近世、科挙に合格した中国の士大夫読書人層のいきかたに通じるところがある。

これからの日本人の生活水準QOL向上のために資することは、国民ひとりひとりの資産を増やすことである。そのためには減税をして税金をとらないことである。いつまで大蔵省に大きな顔をさせておくのか? かれらは国民から税金をとるといふ省益しか考へてをらず、日本全体を富裕にするなどといふことはこれつぽつちも考へてなどゐないのである。銀行の金利を昔並にあげるか、アメリカ並に株式市場を強固に安定発展させるか、わかりやすい大きな決断をすればいゝだけの話であるが、話は全然すゝまない。

ひとつの元凶は、日本に平等主義思想が強いことがある。戦前は天皇陛下万歳の軍国主義であつた。戦後は民主主義といふ名の共産主義である。こいつが私のこどもの時からの宿敵である。しかしかういふ「みんなの団体主義」よりも、もつと大事な価値があつて、それが個人一人ひとりを大事にする自由主義である。

そのためには、政府のちから、行政官僚のちからをできるだけ削がねばならない。この改革(革命?)をするためには占領下GHQのダグラス・マッカーサー元帥並の権力が必要だらう。私はこどものときから、政治などは、少数精鋭の文化的貴族と英邁な君主が独裁的に行へばそれでたくさんだと思つてゐる。啓蒙専制君主制である。不運にもギロチンにかかつたルイ16世も、頭脳明晰な啓蒙君主であつた(サッサと緒戦で「蜂起」したとかいふ群衆など、近衛軍で蹴散らしておけばフランス革命など、いとも簡単に鎮圧できたのであるが、国王は人民に「優しすぎて」かへつて頸を切られる皮肉な結果になつたのは、愚である)。古来、アリストテレスも、孔子も、これを主張した。民主主義などを「いゝ」政治などと言つた者はない。20世紀になつて大英帝国も不承不承認めるやうになつた政治体制に過ぎない。大衆も、政治に参加してよいと言はれても、大した意見も知恵も、もちあはせてなどゐないのだから、めいわくなだけである。大衆に政治権力をひきわたして起こる結果はかならず流血と極つてゐる。彼らは愚昧だからである。フランス革命しかり。ロシアの赤色革命しかり。狂犬の群、ナチスドイツの第三帝国の盛衰しかり。政治は頭に賢い人がおればそれだけでいゝのである。アメリカのトランプの顔を見ればそれ位簡単にわかるだらう。むろんこれは反対の例を言つてゐるのである。(笑)

男女雇用機会均等法、これが私の思ふには、諸悪の根源である。赤化官僚と結託したウーマンリブ、共産主義者の陰謀であらう。これで女性もすべて働かなければならないといふ社会的圧力に例外なく曝されることになつた。専業主婦はいぢめの対象となつた。しかし有閑マダムの存在は必要なのである。ランチでいゝから、彼女らには「社交」をしてほしい。「ゆとり、よゆう」の空気が世に漂ふからである。旦那は働いてゐるといふのにと、彼女らのさゝやかな会食を非難するケチな声があつたが、よけいなことである。女性が働くやうになると、どれだけ食品によぶんな添加物がたくさん入つた外食産業が発展してきた? こどもの家庭でのやすらぎは? おほくのものを犠牲にしてゐることは明らかで、イヤ、統計上の数字をあげろとかいふ主張など、たくさんである。バカと議論しても始まらない。こんなものは想像力でおぎなへば足りる。

そもそも労働に向かない若い女性は多いと私はみてゐる。働くよりも、学校を卒業したら、サッサと見合でもして結婚するがいゝといふタイプである。PMS(PMDD)とかいつて、「月経前症候群」とかいふのが「病気」とか近頃いはれているが、大概にしろ。いちばんの原因は睡眠不足なのである。これが何に起因するか、いふまでもないことである。「労働と平等」といふ貧乏人の「哲学」で、日本はすでに始まつてゐるが、晩婚化と少子化は加速度的に進行し、その結果、国力の衰退することはあきらかで、明治からの大国の繁栄と世界的地位は永遠に失はれてしまふだらう。「正義栄えて国滅ぶ」。この最大の元凶は、おそらく霞が関(小役人)と永田町(チンピラ議員)となるだらう。しかし、かれらは群衆なので、責任はとらない。

日本の改革において必要なことは、一見もつともらしい・誰にも反対できないやうな、ニセの正義(私は民主主義と共産主義を区別しない)の一掃であり、愚劣なことをいう連中(官僚どもを含む)を黙らせることであり、明確な任期期限がついた、センスのよいリーダーによる、善政(国家の繁栄、文化的向上)をめざした強権政治である。かういふことを言ふ人間は危険ではないかと思ふ人もあるだらう。しかし、危険でない人があるか、そも考へてみたことはあるか? とまあ、根源的反論は控へておかう。なんにせよ、かういふ穏やかならざることを言ひだすところ、ひとつ、とつて見ても、私は政治とか法律とかさういふ議論をかんがへるには向いてゐない人間である。

私はどういふところに政治的安楽をみいだしたか、といふと、近世のフランス人たちの生活である。モンテーニュは、地方の知事をしながら、自邸にある塔にこもつて読書しては物書きをしてゐたし、パスカルも父や姉、家族と一緒に田舎の自邸とパリの別邸を往来して、のんきに数学の研究をしたり、キリスト教教義のおもしろい解説を書いてゐた。ラ・ロシュフコー公は、居心地のよい私邸で気心のしれた仲間と文化的サロンを開いて、maximes morales をせっせと作ってゐた。後年、まじめな平等主義者で共産主義者の始祖たるジャン・ジャック・ルソーは、これを悪魔の書だと弾劾したが、じぶんの子供を五人も孤児院に捨てたルソーにそんなことを言ふ資格はさらさらない。辛辣な真実 truthを口にする一見は悪人らしき人がじつは善人で、耳にこゝちよいmoralを解く善人が、じつは極悪人だという格好の例である。

私の政治にかんする意見は、結局、かぎりなく、政治からは遠のいて、私的生活に隠遁することが理想となる。むかし、東大法学部で渡辺浩先生の講義を聞いてふしぎな気分になったことがある。「政治には参加するという側面がありますが…」と教授はのたまつたのである。「参加!」 参加とはこれいかに? と話のつゞきを聞けば、民主政治のプロセスには投票があるといふことを「参加」と言ひ回したのである。小学生でもわかることであるが、わたしはすくなくない衝撃を受けたのである。「政治とは支配、被支配であつて、私は参加などといふことをこれまで一度も考へたことがない。一票を投じることが参加だらうか? それで何が変るのか? 大学教授もどこまでおろかなのであらうと」

けつきよく、わたしの理想とする一国のありかたとはどういふものかといふと、人びとがあくせくせず働き、都会などに人が集中し過ぎず、適度に田舎暮しをして、読書、音楽、美術がじぶんの家にもあるやうな、ひとびとがむやみにコンサートホールや美術館に押しかけない、趣味のある家にすみ、花木や小動物が身近にある庭をそだて、この大切なプライヴェートの居住環境をすこしでも破壊せぬやう、政治はムダな「改革」といふものをゼロにして、頑迷な保守主義を死守する、そのためにはいくらでも強権を発動してよい…、と考へると、これは江戸時代の政治ではないか。(笑) わたしはうまれてくる時代をまちがへたやうである。

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