夏の茶席、この五文字をしばしばお軸にお見かけする。
かうんきほうおほし
出典はつぎの漢詩(といふことだ)。題して「四時の歌」。中国古典では一年を「四時」などといつた(陶淵明など)。
春水満四沢 しゅんすいしたくにみつ。(雪解け水が、みわたすかぎりの沼沢をうるほしてゐる。春だなあ)
夏雲多奇峰 かうんきほうおおし。(入道雲がそびえて峰のやうである。夏だなあ)
秋月揚明暉 しゅうげつめいきをあげ。 (秋月は煌煌とあたりを照らす。秋だなあ)
冬嶺秀孤松 とうれいこしょうひいず。 (冬山では周囲がかれてしまつて、松がひとりめだつてゐる。寒そうだなあ)
私がこの詩をよんだ感想は、まづ、「春水」「四沢」の言葉のうつくしさである。易しいのに、日本では使はれさうでなかなか使はれない文字である。画数の多い字句を上等とこころえてゐる下等な連中がゐるやうだ。
だから、私なら、夏雲多奇峰は、とらない。春水満四沢を、とる。
あと、受けた感想で決定的なのは、もうひとつのほうで、それは、漢字があると、文字をちいさく書けば秘密のコミュニケーションに使へるなあといふ想像である。たつた4×5=20字をごくごく小さな紙片にちいさくちいさく書写すれば、獄中にある友にも密ひそかにこの漢詩をわたすことができるだらう。ひらがなだと字数が要るだらうから、さうはいくまい。もらつた友人は、それを楽しんでひそかな慰藉をえるだらう。この想像は、くすぐるやうな喜びの時間を昔、私にすこしあたへたことであつた。




