岩倉ぶらり散歩

京都岩倉実相院表門。四月の青い空と咲き始めた桜をあおぐ。

今月のはじめ、所用あって、洛北、岩倉に出かけました。

すぐ近くに「床もみじ」で観光客をひきつける実相院があることを知らないではなかったのですが、立寄る暇なく過ぎていたのを、京都に住んでもう三年、このままではよくないだろうと思って、クルマを走らせてみました。

実相院の周囲には、いわくら病院、北山病院、第二北山病院、洛陽病院と病院がいっぱい。

実相院は、近衛家や皇室とゆかりのある門跡寺院であるとは言い条、建物じたいが相当傷んできているようで、補修費用を募っておられ、少額ながら寄付を申出ますと、実相院の沿革をくわしく綴った書籍を「お礼に」と頂きました。

実相院の下には、これも皇室にゆかりのある大雲寺というお寺があり、一千年近く前のはるか大昔、後三条天皇の姫君がお寺の井戸水を飲むと精神病が治った奇蹟があって、爾来、江戸時代には、それを信じてお参りに来る精神病の患者さんやその家族がいっぱいで、逗留のお世話をする代表的な茶屋が、実相院の認可をうけて四軒ほども出来、精神病治療の地として、岩倉がゆうめいになった歴史が、いまに伝わっているというわけなのですね。

実相院北庭。もとは蹴鞠をするための庭だったとか。写真では見えませんが、左側に北山病院が隣接しています。

いわくら病院の横に、岩倉具視(1825-83)が和宮降嫁に尽力後、一転、尊王攘夷の熱風のあおりを受けて暗殺を避けるため岩倉に5年間(1862-7)蟄居した「幽棲旧宅」が今もあり、たずねてみました。

山縣有朋の無鄰菴もそうですが、明治の元勲が住んだ住宅というのは簡素なものが多いですね。朝鮮の民家のような趣があります。わたしらの年代の人間には「五百円札の人」、こどものころ、伊藤博文(千円札)のかわりにお年玉袋に入っていると「チッ!」と舌打ちしたという記憶くらいしかない岩倉公ですが(すみません)、幕末史をおとなの目で眺めてみると、なかなかの傑物であると知れてきます。頭がよく、先がみえ、定見があった人のようで、このような有能な人にあっては、いづれの境遇にあっても、天地は開けるものなのでしょう。

障子の意匠は中華風ないし朝鮮風にみえます。むこうにみえる庭の赤松がみごと。

床の間のお花も簡素の美の極致。

のんきな春の一日。幕末日本にタイムスリップしたかのようです。

このあとは、いきつけの理髪店で散髪をしたあと、これもついでと、いきつけの鮨屋に立寄り、店ののれんが風にふかれる様をのんびり眺めつつ、ひとりカウンターにすわり、ご亭主のにぎる桜鯛、石鯛、赤貝、車海老、雲丹、焼貝柱、〆は卵焼とぜいたくを楽しんだ一日でした。

 

 

 

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