清は何と云つても賞めてくれる

『坊ちやん』(1906年)つて、どういふ小説なのだらう?

そんなことを考へてみたことはあるか? じつは乃公おれもつひ最近までなかつたのだ。しかし、やうやくつかめた! と思へたので、こゝに書いてみる。結論を先にいうと、『坊ちやん』は恋愛小説なのである。

乃公おれは慥たしか中学校の国語教科書で『坊ちやん』の第一章を読んだ記憶がある。

「汽車が余つ程動き出してから、もう大丈夫だらうと思つて、窓から首を出して、振り向いたら、やつぱり(清きよは)立つてゐた。何だか大変小さく見えた」。

この件くだりを読んで、いくらなまいきなガキでも、心動かされなかったガキはゐなかつたらう。

しかし普通の公立中学校で、『坊ちやん』の「意味」を「考へる」余地は残されてゐまい。「ジーン」と来るか、アハハハと笑つてをはるのが関の山。それ以上の「意味」を考へることは、教師にその能力がないことはさること乍ら、こどもに理解できるほどの人生経験がないからである(すばやく見抜く才能ある小供のあることは否定しない)。これは存外「をとな」の小説なのである。

昔、読んで、成程と感心した解説に、もう亡くなった、慶応大学教授・江藤淳の「官軍の狸、赤シャツ、敗残の幕臣坊ちゃん、山嵐」説があつて、『坊ちやん』が一見痛快な勧善懲悪小説でありながら、そこに無限の悲哀が一抹たゞよつてゐるのは、そのせゐだと云ふのを、新潮文庫末尾の解説に読んで大いに感心したことがあつたが、感心したのは私が若かつたせゐで、「ユーモアは常に敗者の友」という智慧が私についてをれば、全然感心しなかつたらう。そんなこと、あたりまへだからである。御大層にいふことではない。無限の悲哀がたゞよつてゐる理由は、やはり清きよの存在である。この中心の問題にまつすぐに斬り込まない文藝評論家は、腑ぬけ腰ぬけである。

江藤はさらにくわへて、さういふ事情だから『坊ちやん』は「近代小説になり得てゐる」のだとまで豪えらさうなことをいふので、かうなるとたいそう腹がたつ。「なんだい、その近代小説つてのは?」と。「近代」の定義もなく、小むつかしいことを言ふのは、大学教授のよくやる悪ぢえだが、じぶんも本当にはよくわかつてをらないのだから始末が悪い。文学部の教授などにそんな明晰な頭脳のあるはずはない。あればもつと他の世の中に役立つ仕事をしてゐるだらう。おのれの分を知つて「以来つゝしむがいい」。

『坊ちゃん』がどういふ小説か、それは小説半ばの第七章にあからさまに書いてある。つねに真実は明快なのである。

「然しかし先生はもう、御嫁が御有りなさるに極きまつとらい。私はちやんと、もう、睨らんどるぞなもし」

「へえ、活眼だね。どうして、睨らんどるんですか」

「何故どうしててて。東京から便りはないか、便りはないかてて、毎日便りを待ち焦がれて御いでるぢやないかなもし」

「こいつは驚いた。大変な活眼だ」

「中あたりましたろうがな、もし」

「さうですね。中あたつたかも知れませんよ」

「然しかし今時の女子をなごは、昔と違ちごうて油断が出来んけれ、御気を御付けたがえゝぞなもし」

「何ですかい、僕の奥さんが東京で間男でもこしらへてゐますかい」

「いゝえ、あなたの奥さんは慥たしかぢやけれど…」

「それで漸やつと安心した。それぢや何を気を付けるんですい」

「あなたのは慥たしか、あなたのは慥たしかぢやが」

「何処どこに不慥ふたしかなのが居ますかね」

「ここ等にも大分居ります。先生、あの遠山のお嬢さんを御存知かなもし」

「いゝえ、知りませんね」

「まだ御存知ないかなもし。こゝらであなた一番の別嬪さんぢやがなもし。あまり別嬪さんぢやけれ、学校の先生方はみんなマドンナマドンナと言ふといでるぞなもし。まだお聞きんのかなもし」

「うん、マドンナですか。僕あ芸者の名かと思つた」

(中略)

「そのマドンナが不慥ふたしかなんですかい」

「そのマドンナさんが不慥ふたしかなマドンナさんでな、もし」

「厄介だね。渾名あだなの付いてる女にや昔から碌なものは居ませんからね。さうかも知れませんよ」

「ほん当にさうぢやなもし。鬼神のお松ぢやの、妲己だっきのお百ぢやのてて怖い女が居りましたなもし」

漱石の小説のテーマの基本線のひとつに、純愛の礼賛と、当世風女への不信があるのは明白なところで、前者に『それから』(三千代)、後者に『三四郎』(美禰子)『虞美人草』(藤尾)があり、そのことはこの『坊ちやん』に於ても不変らない。当世風の女は極つて、西洋風の美人であり、家産が傾き出した、うらなり君こと英語教師の古賀から婚約相手を中学教頭の赤シャツに鞍替する「マドンナ」は「色の白い、ハイカラ頭の、背の高い」町一番の別嬪さんであるが、道徳的に「不慥ふたしか」と批難されてゐる。

この派手な「マドンナ」に対比すべき存在が、地味な きよで、坊ちやんの恋人である。物語のしかけ上、清は婆さんに設定され、恋愛小説とは見えないやうにされてゐるだけで(私もバカ大学教授流に「漱石小説における沈められたる構造」とでも仰々しく名づけようか)、清には、つねに、恰も「恋人」「奥さん」にたいするが如き修辞が至るところに鏤ちりばめられてゐる。これを妙だなと感じなければ、読者としてはウソだ。清の実態は、古風な、昔気質の、なつかしさに胸しめつけられるやうな趣ある、妙齢のをんななのである(註。この点、永井荷風『断腸亭日乗』昭和3年2月5日の条はたいへん参考になる。荷風を愛したと呼べる女は、古風な関根歌だけである。歌は、なにくれとなく、長きにわたり、荷風の世話をしたのに、荷風はこれに正当に報いることがなかつた)。『坊ちやん』は、さうした古風な趣ある娘との、遠距離恋愛小説なのである。

この婆さんがどう云ふ因縁か、おれを非常に可愛がつてくれた。不思議なものである。

清は時々台所で人の居ない時に「あなたは真つ直すぐでよい御気性だ」と賞める事が時々あつた。清がこんな事を云ふ度におれはお世辞は嫌きらひだと答へるのが常であつた。すると婆さんはそれだから好い御気性ですと云つては、嬉しさうにおれの顔を眺めてゐる。

贔屓目ひいきめは恐ろしいものだ。清はおれを以て将来立身出世して立派なものになると思ひ込んでゐた。おれはその時から別段何になるといふ了見もなかつた。然しかし清がなるなると云ふものだから、やつぱり何かに成れるんだらうと思つてゐた。今から考へると馬鹿馬鹿しい。ある時などは清にどんなものになるだらうと聞いてみたことがある。ところが清にも別段の考もなかつたやうだ。只たゞ手車へ乗つて、立派な玄関のある家をこしらへるに相違ないと云つた。それから清はおれがうちでも持って独立したら、一所になる気でゐた。どうか置いて下さいと何遍も繰り返して頼んだ。おれも何だかうちが持てる様な気がして、うん置いてやると返事だけはして置いた。

あなたは慾がすくなくつて、心が綺麗だと云つて又賞めた。清は何と云つても賞めてくれる。

清は昔風の女だから、自分とおれの関係を封建時代の主従の様に考へてゐた。

プラットフォームの上へ出た時、クルマへ乗り込んだおれの顔を昵じっと見て「もう御別れになるかも知れません。随分御機嫌やう」と小さな声で云つた。目に涙が一杯たまつてゐる。おれは泣かなかつた。然しかしもう少しで泣くところであつた。

それを思ふと清なんてのは見上げたものだ。教育もない身分もない婆さんだが、人間として頗る尊たつとい。今まではあんなに世話になつて別段有難いとも思はなかつたが、かうして、一人で遠国へ来てみると、始めてあの親切がわかる。清はおれの事を慾がなくつて、真直まつすぐな気性だと云つて、ほめるが、ほめられるおれよりも、ほめる本人の方が立派な人間だ。何だか清に逢ひたくなつた。

おれは空を見ながら清の事を考へてゐる。金があつて、清を連れて、こんな綺麗な所へ遊びに来たらさぞ愉快だらう。清は皺苦茶だらけの婆さんだが、どんな所へ連れて出たつて耻づかしい心持はしない。

赤シャツがホホホホと笑つたのは、おれの単純なのを笑つたのだ。単純や真率しんそつが笑はれる世の中ぢや仕様がない。清はこんな時に決して笑つた事はない。大おほいに感心して聞いたもんだ。清の方が赤シャツより余つ程上等だ。

清は今に返すだらうなどと、苟かりそめにもおれの懐中をあてにはしてゐない。おれも今に返さうなどと他人がましい義理立てはしない積つもりだ。こつちがこんな心配をすればする程清の心を疑ぐる様なもので、清の美しい心にけちを付けると同じ事になる。返さないのは清を踏みつけるのぢやない。清をおれの片破かたわれと思ふからだ。

こゝだらうと、いゝ加減に見当をつけて、御免御免と二返ばかり云ふと、奥から五十位な年寄が古風な紙燭しそくをつけて、出て来た。おれは若い女も嫌きらひではないが、年寄を見ると何だかなつかしい心持がする。大方清が好きだから、その魂が方々の御婆さんに乗り移るんだらう。これは大方うらなり君の御母さんだらう。

かうして田舎へ来てみると、清はやつぱり善人だ。あんな気立のいゝ女は日本中さがして歩行あるいたつて滅多にはない。

こゝのうちは、いか銀よりも鄭寧で、親切で、しかも上品だが、惜しい事に食ひ物がまづい。昨日も芋、一昨日も芋で今夜も芋だ。清ならこんな時に、おれの好きな鮪の刺身か、蒲鉾のつけ焼を食はせるんだが、貧乏士族のけちん坊と来ちや仕方がない。どう考へても清と一所でなくつちやあ駄目だ。

どうしても早く東京へ帰つて清と一所になるに限る。こんな田舎に居るのは堕落しに来てゐる様なものだ。

やつぱり清の事が気にかゝる。かうして遠くへ来てまで、清の身の上を案じてゐてやりさへすれば、おれの真心まことは清に通じるに違ちがひない。通じさへすれば手紙なんぞやる必要はない。

おれが東京へ着いて下宿へも行かず、革鞄かばんを提げたまま、清や帰つたよと飛び込んだら、あら坊ちやん、よくまあ、早く帰つて来て下さつたと涙をぽたぽたと落した。おれも余り嬉しかつたから、もう田舎へは行かない、東京で清とうちを持つんだと云つた。

漱石の、人口に膾炙かいしゃした句に、「すみれ程な小さき人に生れたし」がある。野に咲く花は、争はず、人為の保護をもとめることもない。そうした自然の尊さがわかる人であれば、愛する人として足る。慾が尠すくないからである。清と坊ちやんは、さういふ人種だが、野だや赤シャツ、マドンナには、そんな可憐さはない。かれらはあくまで人間の都合で出来ただけの世界に合せて欲深に、野獣的人生を送り、自然の情などといふあはれなものとは無縁に暮す。

『坊ちやん』の世界は狭小である。母が死に、六年後に父が死に、「女の様な性分で、ずるい」兄とは「新橋の停車場で分れたぎりその後一遍も逢はない」し、任地で意気投合した山嵐とさへ新橋で「すぐ分れたぎり今日まで逢ふ機会がない」。坊ちやんと一緒にゐるのは、清ばかりなのである。他人はつけ入る隙がない。

ふたりぎりの狭い、せまい、愛の世界。

物語の構成上、清は婆さんで肺炎で死んだことになつてゐるのだが、容易に想像を逞しくすることができるやうに、坊ちやんと清の若いカップルはいつまでも静かに暖かく愛し合つてゐるのである。作品の終末にたゞよふ不思議な「あたゝかみ」。これは江藤淳も正しく指摘してゐるが、それは江藤のいふ様な「地の底の妣ははなるもの」(笑)とか理屈臭いものではない。漱石は照れがあつて、清を婆さんに設定したゞけの話なのである。ほんたうは清は坊ちやんを素直に愛する若い娘なのである。漱石の他作を見よ。『それから』でも『門』でも『こゝろ』でも、こどものをらない純愛カップルを3組もみいだせる。

これを私はなによりの証左とする。

 

 

 

 

 

 

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