文人をたづねて

「文人」という言葉を聞いても、ぴんと来ない人のほうが多いのでしょうが、富岡鉄斎(1836-1924)といえば、わかる人にはわかる、というところでしょうか?

京都では「とらや」「鶴屋𠮷信」「白竹堂」「宮脇賣扇庵」伏見の酒蔵「山本本家」など、鉄斎にゆかりのある老舗がたくさんあります。いつか私も、鉄斎の書画のお軸のひとつも手に入れたいなあと念じておるのですが、奈良の大和文華館で鉄斎展をしているので、先日ひとりでかけてみました。

大和文華館は、近鉄がつくった美術館なのですが、造りの堅牢なこと。すわる革張りのソファの飛びぬけて上等なこと。それに喜んで、ずいぶんとよいこころもちで半時ほども過ごすことができました。数点、これは傑作だなと思うものがありましたが、なにせ、お軸の巨大なこと。

いつからか、私は美術品も、ただ眺めているだけではなくて、「買う」という目つきでみる様になってきているので、診療所に飾るには、もう少し適当な大きさのものがないかしらんと思ったことでした。

大和文華館には広い庭園に、桜と梅の木がおおく、この日は梅がよく咲いておりました。奈良学園前には、こぶりの趣味のいい美術館がたくさんあって、大和文華館の隣にある中野美術館では、長谷川潔(1891-1980)の静物画版画を数点ながめて、いいなアと「もだえ」ました。

わたしの心にかなう絵とは、①ふしぎな絵・なぞのある絵 ②じっといつまでも眺めて飽きのこない絵 ③しばし現実の時空を忘れさせてくれる絵 でしょうか。

鉄斎が描く山水画、花鳥風月画は②③によくあてはまるでしょうし、長谷川潔の作品や、私が美術展でながめてはじめて「買いたい」という気持をおこさせたポール・デルヴォーの「夜明け」(1944年)などシュールレアリスムの作品は、①のニュアンスが濃いでしょう。

京都の美人画でゆうめいな上村松園(1875-1944)の作品をかざる松伯美術館で「花鳥画展」をやっていたので、それにも足をはこんでみました。

主宰者の館長・上村淳之によると花鳥画は「日本画にしか存在しない」ということだそうで(エッ、ホント? 宋代の中国画は、じゃあ、一体どうなるの? 偏狭なナショナリズムを安易に説くとじぶんの首を絞めますよ)、主宰者が伝統的な花鳥画にこめる思いと公募展に応じたわかい画家世代がかんがえる「花鳥画」の間にはずいぶんと懸隔があることに、もどかしい思いがあるとのことでしたが、私は大賞にえらばれた絵をすこしもいいとは思えず、むしろ選外の2点に「買いたい」きもちを強く起こしたことでした。

私の絵の評価基準はあくまでも上記の①②③で、選外2点はそれを満たしていたので、私には、私以外の誰がなんといおうが、いい絵なのです。

もっとも、私がこのんだこの2点が「花鳥画」といえるかといえば、確かに、それには大いに疑問がつきますが…。(主宰者の嘆きも、御尤もかと)

美の世界の「主観性」は所詮、人さまざまですが、「選択眼」は、実際に高いねだんをじぶんが出して買ってみないと磨かれないという話は、また別の機会に書いてみたいと思います。

松伯美術館中庭

 

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