十九世紀の人びと

小医は昔、総合病院の勤務医時代に、月一回のペースでエッセイを書いておりました。

いま読み返してみたら、よく仔細にここまで調べて書いてあるなあと、自分でも感心してしまうことしきり。お閑つぶしにご覧いただけると有難いと云爾(しかいう)。

十九世紀の人びと 閑居小人

精神科医になって、学会というものにも出てみたら、パワーポイントスライドという電気紙芝居でどの先生の講演でもむやみに出てくるのが、クレペリンという人の顔写真なのである。西洋哲学の世界では、ギリシャの賢哲プラトン以後に新しい哲学なく、すべてはその注釈に過ぎないなどとずいぶん後進の気を削(そ)ぐような大家の格言がある。

精神医学の世界でも、衒学(げんがく)趣味からか知らないが、クレペリン以後に新しい発見なく、すべてはその注釈に過ぎないと現に言う人もある位で(アキスカル)、クレペリンという人は、体系的な精神医学教科書を書くことに一生を費やした人である。中井久夫は変った人だと評しているが、十九世紀後半から二十世紀の初頭はウィルヒョウやコッホ、エールリッヒ、野口英世、オスラーなど、クレペリンを含め、猛烈な人に満ち満ちている。

クレペリンはお酒をある時からやめにしたらしい。そうしたら、それだけで禁酒家の変り者として有名になってしまった。私は無類の酒好きなので、気が合いそうもない。

血液病学の祖エールリッヒは、ビアハウスで皆と語らい、葉巻(シガー)をくゆらすのを愉しみとした人で、私ごのみの人である。アルケミスト(錬金術師)の血をひいて、万巻の書物から着想をえ、古風な砒素(ひそ)を用いて駆梅療法、サルバルサンをあみだした所も面白い。その研究を手伝った秦(はた)佐八郎は北里柴三郎の研究所で野口英世と同僚だった人である。

現代人は昔ならひまがあったろうと往々思いがちであるが、仔細(しさい)にみると、それは思い込みに過ぎないように思われる。十九世紀の人もむやみに多忙である。野口英世はむろん朝から晩まで働いている。ウィルヒョウなどはいつ寝ていつ仕事をしているのだろうと思わせるほどに論文も書けば国会議員のしごともこなしているのに、なぜか会う人に忙しさを感じさせることは微塵(みじん)もなかったという。オスラーの教養趣味も多忙を背景にしていることを忘れてはならない。

そんなに時間に追われて仕事をしていて、解放されたいと思わない筈はない。クレペリンは旅を愛したという。西欧の世界を離れて、見知らぬ南洋やアジアの地を旅する。この冒険きぶんはコッホも共有するところで、若き日のコッホはお金が無いから世界旅行を諦めて医者になり、顕微鏡を駆使してミクロの世界の冒険に出たまでで、結核菌を発見してウィルヒョウに代り一躍ドイツ医学界の首領(ドン)となると、エジプトやインド、アフリカ、そして日本へ、念願だった旅に出かけている。

いづれにせよ、大物は小さくまとまってはいないようである。

  • エミール・クレペリン(1856-1926)…現代の精神医学の基礎を築いた人。著名な弟子の一人にアロイス・アルツハイマー(1864-1915)がある。歌人で精神科医の斎藤茂吉(1882-1953)が欧州に留学時、クレペリンに握手を拒まれた話は夙(つと)に有名。茂吉は一生「あの毛唐め」と怨みに思ったらしいが、クレペリンは愛国者で、当時敵国だった日本を憎んでいたという。
  • パウル・エールリッヒ(1854-1915)…いとこのカール・ヴァイゲルト(1845-1905)と共に、現在も使われる組織染色技法の殆どを編み出した人。血液病学のほか、免疫学の基礎も築いた人で、病巣のみを破壊する「魔法の弾丸」のアイディアは、抗生物質や抗がん剤治療に今も生きている。1908年、第8回ノーベル医学賞を受賞している。
  • ロベルト・コッホ(1843-1910)…1882年に結核菌を発見した功績で名高い。一介の田舎医者がカール・ツァイスの顕微鏡のみを武器に、細菌学という当時最新の研究分野をほぼ独力で開拓したのだから、その偉大さは計り知れない。当時ドイツの敵国であったフランス細菌学の泰斗、天才ルイ・パスツール(1828-95)とは、学問上も「普仏戦争」を継続する犬猿の仲であった。コッホのもとに留学して破傷風菌を発見した人が慶応大学医学部の祖、北里柴三郎(1852-1931)で、北里は終生コッホを祠(ほこら)まで作って崇拝した。コッホを尊敬した人は数多く、エールリッヒもその一人。1905年、第5回ノーベル医学賞を受賞している。
  • ルドルフ・ウィルヒョウ(1821-1902)…顕微鏡を駆使した病理学研究で、ドイツ医学を世界に冠たるものに押し上げた。肺塞栓症の発生メカニズムを解明したことや、「白血病」の名付け親として著名。政治的には若き青年の日から革命の闘士でもあり、自由主義派のドイツ帝国議会議員として、鉄血宰相ビスマルクの専制主義に頑強に抵抗した。長命で80歳の誕生日は日本医師会をふくめ、世界中から祝福された。
  • サー・ウィリアム・オスラー(1849-1919)…カナダ出身の内科医。欧州に留学後、アメリカ、イギリスで活躍し、教育者として多くの俊英を育成した。専門の研究分野は血液病学。視診の達人で皮膚科にも通じていた。英米医学圏では今日でも「聖人」なみの崇拝をえている。簡潔な文体で書かれたその内科学教科書は20世紀前半、世界的なベストセラーであり、若き日の小説家サマセット・モーム(1874-1965)もオスラーの教科書で医学を勉強した。人文学や医学史の教養深く、弟子の一人に、著名な脳外科医ハーヴェイ・クッシング(1854-1934)がいる。105歳の驚嘆すべき長寿を全うしたわが日野原重明(1911-2017)先生もオスラー研究者として有名。オスラーは晩婚で得た一人息子を第一次世界大戦で失い、悲嘆にうちひしがれて亡くなった。
  • 野口英世(1876-1928)…福島県出身。刻苦勉励して開業医試験に合格したが、一介の医者で終るのを潔しとせず、当時最新の研究分野であった細菌学研究に突き進んだ。借金と踏み倒しの名人で、貧窮にめげなかった。一度会ったきりのサイモン・フレクスナー(1863-1946)を頼りに単身アメリカに渡り、彼の助手としてロックフェラー研究所に職をえた。「人間発電機(ダイナモ)」の異名をとるほど疲れを知らぬ働きぶりで、彼はアメリカに暖かく迎え入れられた。当時世界的に最も有名な日本人の一人。しかし、野口の時代、コッホに代表される細菌学の英雄時代は終焉に近づき、多数の研究者チームによるウイルス学の新時代を迎えようとしていたため、後世、野口の「新発見」は悉くまちがいだらけと判明、彼の医学的業績で今日まで残るものは、進行麻痺患者の死後脳に梅毒病原体を発見して、第四期梅毒が確かに脳神経梅毒であることを顕微鏡的に実証した報告論文(1913年)のみである。最新の研究論文はすぐにふるびてしまうが、オスラーのごとき随筆文学は不朽の輝きを放つ。                  (平成23年7月筆)

 

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