「うつ」雑感

「うつ」とかいう中途はんぱな言葉が日本社会に普及しだして、「なんだかなア」という思いが強い。

私の人生における記憶のなかで、「うつ」という言葉にはじめて遭遇したのは、昭和58年、西暦1983年の高校文化祭の時であったから、もうかれこれ35年にはなる勘定である。

漢字で書くと画数が多いので、進学校の生徒にどくとくの知的背伸びから「鬱」という字を金色で、黒地の法被の背中に大きく印字してよろこんでいる姿を見て、ばかばかしい連中だと思ったものである。

当時は「なんか、つまんねえなあ」というわかもののきぶんを、難しい漢字をつかって衒(てら)っているレベルで、よもや「病気」と関係づけるような世の風潮はみじんもなかったように思う。

ところが最近ときたら、へいきで自分は「うつ」なんだと思いますとひらがなで伝えて堂々と医者をたずねてこれる時代となってしまったのである。きれいに化粧もして、ベラベラじぶん勝手な事情をふつうに説明できる「わかい娘が鬱病のわけないだろ」と言ったら、むくれて「うつの診断書をよそで書いてもらいました」とGoogle reviewでほざくやつまで出てくるしまつである。じぶんの思い通りにならないと気のすまないADHD/ASのわがまま娘もむすめだが(これがいわゆる「新型うつ」の正体である)、それに迎合してにせの診断書を書いてやる医者も医者だよ。精神科医なんて情けなくて、ほんとうに辞めたくなってくる。

むかし総合病院精神科に勤務していた時代、JA広報誌に書いた文章を再録してみます。

うつ病の診立てと治療

Q いきなりですが、うつ病は治りますか?

A たいてい治ります。時間はかかりますが、ほんらい自然に治る病気です。ただ、その間に自殺の危険もあるため、お薬で保険をかけます。

Q なるほど。ところで、アタシ、最近彼氏にフラレて落ち込んでいるんですけど、うつ病でしょうか?

A 違います(即答)。

Q え~ こんなに落ち込んでいるのに(怒)!

A 気分に注目するのは逆に誤診の元といわれていますね。

Q じゃあ、お医者さんは患者さんのどこに目をつけて、うつ病かそうでないか、診立てているのですか?

A 仕事ができなくなった。家事がこなせなくなった。休日に気分転換どころじゃない。全身がだるい。途中で何度も目が覚める。朝の気分は最悪。新聞もテレビも見る気がしない。汗が出る。動悸がする。泪がぽろぽろわけもなくこぼれてしまう…。

Q あ、それ、アタシです。

A だから、アナタは違います(ニコニコ)。症状以外では、がんがみつかった、入院するほどの大病をした、お金や健康の心配事に追い打ちをかけるように身内で不幸があった、職場で人事異動があった等、「喪失感」の一言でまとめられるような状況の変化ですね。

Q 他にありますか?

A ありますよ。服装ですね。髪型です。女性はとくに分り易いです。お化粧をばっちり決めているような、きれいなご婦人がうつ病というのはまづ考えられないのではないでしょうか?

Q センセイ、私のことですか? くすっ。

A 回復と共に、暗い色調からあかるい色調へ患者さんの服装が変るのをみるのを私は楽しみにしています。なりふり構わぬ髪型もきれいに整えられます。

Q ずいぶん観察されているのですね。

A 私と同様、うつ病の方はだいたいが責任感強くてまじめな性格の人が多いです。ほかに声の大きさや話し方ですね。うつ病の方は概して小声で、顔の表情の変化や会話のテンポに微妙な遅さや硬さがあります。医者の笑顔や冗談に反応してくれません。これを「思考制止」と呼んでいます。これとは逆にそわそわして「助けてください、先生」と同じことを一本調子で何度もくり返して落着かないという切迫した症状タイプのうつ病もありますよ。

Q ふうん。あ、今日は午後からデートがあるんだった。急がなきゃ(ソワソワ)。

A ずいぶんと回復(たちなおり)が早いね。

Q 治療は?

A 休養が第一。お薬は医者の匙加減に任せてみて下さい。

Q 本日はどうもありがとうございました。センセイ、うつ病にならないでね。

A どういたしまして。より詳しいことは、またいつでも弊院にご相談くださいね(ニコニコ)。

(平成22年6月筆)

 昔、うつ病に対する有効な治療法などなかった時代、クルト・シュナイダーの1936年の著書『臨床精神病理学序説』を読めば、「日に何回でも、再び健康になれると保証してやり、患者の悩みと訴えに何回でも相手になって聴いてやる」(西丸四方訳)ことで、うつ病の自然寛解を導いていたことがわかる。

 

 

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