病気の説明・各論5-6
クレプトマニア(7)
クレプトマニアは病気ではないので、犯罪が成立する。
(4)もっとだいじなことは、司法、福祉行政(障害者年金の認定など)、医療に共通する、長く続くもっと強固な枠組、即ち伝統的精神医学が、窃盗症者の責任能力を肯定する最強の理由となります。それは「精神病」と「神経症」の大別で、以下の如くです。
A)精神病psychosis…病気disease。疾患illness。具体的にはアルツハイマー病を中心とする様々の認知症。バセドウ病や多発性硬化症など自己免疫性疾患に伴う脳炎など。アルコール依存症に基づくウェルニッケ脳症など。(器質性、症状性、中毒性) 脳神経梅毒、ヘルペス脳炎のような感染症。(外因性) 統合失調症・躁うつ病・うつ病。(内因性)
B)神経症nerosis…心因性「疾患」と便宜上いわれることがあるが、病気diseaseではない。あくまでも障害disorderというにとどまる。「メンタル不調」と訳せばわかりやすいか。ストレス源が職場にあれば「適応障害」、ストレス源が心身の過労にあれば「パニック(不安)障害」など、ストレスへの反応性の病態が、様々の「障害」の名でよばれることが多い。病態のメカニズムは、X(ストレス源)→Y(a心身不調/b非行)という反応式で表すことができる。心身の疲労は不安を亢進させるため、「不安障害」が半数超を占める。適応障害も、心身の疲労に結果するが、この場合は世間では往往「うつ」などとよばれることが多い。背景に本人の易疲労性体質(対人・環境過敏性)や、発達(障害)特性による能力不足(→過労→心身不調)もある。
「ストレス」や「不安」という漠然たる概念を嫌って、「内科」的に表現したいなら、自律神経失調症、更年期障害などとなる。しかし「自律神経」やら「ホルモン」やら、もっともらしいことを言ってみたところで、本当のところはよくわからぬ。これらは加齢の要素を加味しつつも、やはり「心身の過労」ということを原因においてみると、病態が見やすい。「疲労」は甚だvagueな(あいまい茫漠たる)概念であるが、科学的な研究はヘルペスウィルスを使って進展しており、結実することがあれば面白いと念じてはいる。
医学的にはあくまでも健康である(多少弱ってはいるが)。しかし、いろんな人間があるのが世の中なので、未熟で弱い人間は、ストレスに直面して「a病気」又は「b非行」に逃げ込む傾向にある(このことについては再び後でふれる)。しかし本人の「背丈」に応じた「理由」あるかぎり「緩い」基準を適用して、医療機関は医療機関にできる限りの範囲でこれらの人びとを「保護」している。そうでなければ日本社会ではだれも保護しようとはしないからである。日本は決して他人に優しい国ではない。日本は「寒冷な」国である。日本に自殺者が元共産主義圏にあった国々並に今も多いのはこのためであろう。医者(特に開業精神科医)が真の病人ではない神経症「患者」を「保護」して自殺を防止している現実は日日、憚りながら、すくなからずあろう。ではない、ある。医師(特に開業医師)のする仕事は純粋に「医療」というよりも「保健」行政である。わたくしはもはやじぶんのことを医者と考えていない。「保健行政官」だと考えている。そうでなければ、開業医などやっていられない。窃盗症も、犯罪の予防に医者が微々たる貢献をすべきものなのではないかと徐々に考え出した、というのが私の臨床経緯です。
サテ、窃盗症を世間では「病気」だの「精神疾患」だの、専門用語を知らず口にされることが多いが、窃盗症が入るカテゴリは、もし入るとしても、B)であって、A)ではない。因みに摂食障害(過食・嘔吐症)もB)である。A)に非ずんば、他はとりあえずB)なので、A)が狭義の病気で、B)が広義の病気と言ってもよい。しかし「広義の病気」という言葉を医者は忌む。なんでもかんでも、「困った事象」があれば、この「広義の病気」の範疇に世間は押し込めたがるからである。往々「医療」と、無責任なジャーナリズムが好む「社会問題」とのけじめがつかなくなる。いい例が、ひきこもり、不登校である。仕方ないので、けじめは、医師の「常識」で裁断する。「神経症圏」か(広義の病気)、そうでないか(埒外)、この昔からある「線引の問題」について、昔の精神科医(例、鈴木國文)は常に念頭に置いていたが(過剰な「医療化」の差し控え)、嘆かわしいことに、現在の精神科医は、じぶんが神になったつもりでもいるのか、往往じぶん自身の能力、身の程を忘れて物を言うようになった。
今や「ネットゲーム依存症」やら「ギャンブル依存症」、「性犯罪被害者のトラウマ症(複雑性PTSD)」、そしてこの「窃盗症」など、これらを「広義の病気」に含めるのはそもそもいいのか、含めるとして、どう対応するか、医者にその覚悟はついてるの? と思わされるものはじつに多い。現に「窃盗症」をまともに取り扱っているクリニックは殆どない。とまどいは小医にも当然ながらあります(のちに再びふれる)。
サテ、法廷の場で、責任阻却事由がまじめに検討されるのは、上記A)に限定され、B)には及ばない。これは日本だけに限られない原則であり、尊重されてしかるべきものである。窃盗症の責任を阻却しない司法的見解のなかで、わたくしが最も重きを置いているのは、上記(1)~(4)の理由のうち、この(4)であり、このことは精神医学という「学問」に忠実な医師として、当然であります。

