病気の説明

病気の説明・各論15-1

うつ病

 

1「うつ」雑感

「うつ」とかいう中途はんぱな言葉が日本社会に普及しだして、「…なんだかなア」という思いが強い。

「うつ」という言葉は医学用語ではない。医者は「うつ病」という言葉を使う。

世にいう「うつ」とは正確な医学用語でいうと「抑うつ反応」である。にんげん、いやなこと、つらいことがあると気がふさぐ。原因が必ずある正常な心理反応である。しかるに「うつ病」では原因がいまひとつ不明確である。だから「内因性うつ病」ともいう。人助けを商売としている医者が、これはどうにかしてあげないとだめだなと本能的にパッと察知される「なにか」がある人である。

ところが「じぶんはうつ」だとかなんとかじぶんから言い出してくる人は、経験ある医者の目からみて、「ちがうナ」と瞬時にわかる人ばかりなのである。そして医者は健康な人につめたい。

私の人生における記憶のなかで、「うつ」という言葉にはじめて遭遇したのは、昭和58年、西暦1983年の高校文化祭の時であったから、もうかれこれ35年にはなる勘定である。

漢字で書くと画数が多いので、進学校の生徒にどくとくの知的背伸びから「鬱」という字を金色で、黒地の法被の背中に大きく印字してよろこんでいる学友たちの姿を見て、ばかばかしい連中だと嘆息したものである。

当時は「なんか、つまんねえなあ」というわかもののきぶんを、難しい漢字をつかって衒(てら)っているレベルで、よもや「病気」と関係づけるような世の風潮はみじんもなかったように思う。

ところが最近ときたら、へいきで自分は「うつ」なんだと思いますと漢字が書けないのでひらがなで伝えて堂々と医者をたずねてこれる時代となってしまったのである。きれいに髪も染め、メイクもばっちりきめて、はやりのお洋服やお靴でめかして、じぶん勝手な事情をほうっておけばいつまでもベラベラ、ベラベラ説明できる“元気”な「わかい娘が鬱病のわけないだろ」と言ったら、むくれて「うつの診断書をよそで書いてもらいました」とGoogle reviewでほざくやつまで出てくるしまつである。ネットに小医にたいする悪口雑言をこれでもかこれでもかと書きこむネガティヴ・パワーだけは溢れ、みなぎっているのである。語るに落ちて、ますますうつ病ではないと万人に自ら知らしめているのである。そしてその愚をみづから悟ることはない。じぶんの思い通りにならないと気のすまないADH/ASのわがまま娘もむすめだが(これがいわゆる「新型うつ」の正体である)、それに迎合してにせの診断書を書いてやる医者も医者だよ。精神科医なんて情けなくて、ほんとうに辞めたくなってくる

むかし総合病院精神科に勤務していた時代、JA広報誌に書いた文章を再録してみます。

 

うつ病の診立てと治療

Q いきなりですが、うつ病は治りますか?

A たいてい治ります。時間はかかりますが、ほんらい自然に治る病気です。註)ただ、その間に自殺の危険もあるため、お薬で保険をかけます。

Q なるほど。ところで、アタシ、最近彼氏にフラレて落ち込んでいるんですけど、うつ病でしょうか?

A 違います(即答)。

Q え~ こんなに落ち込んでいるのに(怒)!

A 気分に注目するのは逆に誤診の元といわれていますね。

Q じゃあ、お医者さんは患者さんのどこに目をつけて、うつ病かそうでないか、診立てているのですか?

A 仕事ができなくなった。家事がこなせなくなった。休日に気分転換どころじゃない。全身がだるい。途中で何度も目が覚める。朝の気分は最悪。新聞もテレビも見る気がしない。汗が出る。動悸がする。泪がぽろぽろわけもなくこぼれてしまう…。

Q あ、それ、アタシです。

A だから、アナタは違います(ニコニコ)。症状以外では、がんがみつかった、入院するほどの大病をした、お金や健康の心配事に追い打ちをかけるように身内で不幸があった、職場で人事異動があった等、「喪失感」の一言でまとめられるような状況の変化ですね。

Q 他にありますか?

A ありますよ。服装ですね。髪型です。女性はとくに分り易いです。お化粧をばっちり決めているような、きれいなご婦人がうつ病というのはまづ考えられないのではないでしょうか?

Q センセイ、私のことですか? くすっ。

A 回復と共に、暗い色調からあかるい色調へ患者さんの服装が変るのをみるのを私は楽しみにしています。なりふり構わぬ髪型もきれいに整えられます。

Q ずいぶんと観察されているのですね。

A 私と同様、うつ病の方はだいたいが責任感強くてまじめな性格の人が多いです。ほかに声の大きさや話し方ですね。うつ病の方は概して小声で、顔の表情の変化や会話のテンポに微妙な遅さや硬さがあります。医者の笑顔や冗談に反応してくれません。これを「思考制止」と呼んでいます。これとは逆にそわそわして「助けてください、先生」と同じことを一本調子で何度もくり返して落着かないという切迫した症状タイプのうつ病もありますよ。

Q ふうん。あ、今日は午後からデートがあるんだった。急がなきゃ(ソワソワ)。

A ずいぶんと回復(たちなおり)が早いね。

Q 治療は?

A 休養が第一。お薬は医者の匙加減に任せてみて下さい。

Q 本日はどうもありがとうございました。センセイ、うつ病にならないでね。

A どういたしまして。より詳しいことは、またいつでも弊院にご相談くださいね(ニコニコ)。

(平成22年6月筆)

 

 昔、うつ病に対する有効な治療法などなかった時代、クルト・シュナイダーの1936年の著書『臨床精神病理学序説』を読めば、「日に何回でも、再び健康になれると保証してやり、患者の悩みと訴えに何回でも相手になって聴いてやる」(西丸四方訳)ことで、うつ病の自然寛解を導いていたことがわかる。昔の精神科医がいかに偉大であったか、心に沁みる説明である。しかしすべてのことに例外はあり、自然回復が見込めない難治性うつ病は存在する。臨床医は入院病棟でこのような症例と日日戦っているので、外来でのんきに「アタシ、うつ」という人には怒気をふくんで冷酷になるのは自然の趨勢といえる。

 

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