中学にあがる前に、私は勉強しようと初めて意識した。できなければ、料理人にでもならうかと漠然とかんがへてゐた。悪くない選択だつたのではないか。辻学園。料理界の東大。しかし今おもへば医者も料理人も、労働者。わが身に代つて働いてくれる人がをらぬ。だから死ぬまで働く仕儀となる。こんな仕事はできるなら、避けるが賢明である。わたしはおろかであつた。
ともだちの土屋くんが、近くに河童英数学院といふいゝ塾があるからそこへ行くといふので、なら乃公おれも行かうと入塾試験を受けた。親は、おまへは塾に行くほど、頭の方は悪くはなかつた筈だが、とのんきなことを言つた。試験であるが、国語はできたが算数はさつぱりである。今なら塾のほうで解説授業をしてくれるだらうが、そのころは生徒がうじゃうじゃゐる時代であつて、そんな深切なものはなかつた。だから長らくわからず仕舞であつたが、むすこの中学入試のときに、再会し、さうさう、かういふ問題、あつたつけなあと懐かしく思ひだした程である。いまなら屁のやうなものが、小学生の学童にはうんうん無益に唸らせたのであるから、算数は罪な科目である。
オカッパの髪をした酒ずきの中年男が塾長であつた。社会には一歩も出ず、学校教師にもならないで、個人で私塾を開けば、それでももうかるといふ幸運な時代であつた。なにせ、ほんらい、勉強なんぞにはこれっぽっちの縁もないガキどもさへ、「進学熱」に煽られて、わんさか押寄せてくるのだから、たまらない。余談だが、東大で授業に出た時、学生の私語がすさまじい授業があり、東大生も大半は、ほんらい勉強なぞしなくていゝ連中だつたんだなと落胆したことがあつた。私が義務教育だの、教育をうける権利だの、さういつた建前の議論がきらひなのは、かういふ事情である。ほんらい、学問は、それに縁のある志ある人だけがすべきであつて、それ以外のれんぢゅうには無用有害なのである。高校は措いて、現在、大学の数は多すぎるし、半減したつて全然かまはない。私は旧帝大だけが今も大学の名前に値するものと信じて疑つてゐない。私は神戸大学医学部卒であるが、ほんたうのことをいへば、神戸医学専門学校卒である。神戸大学なぞ、「大学」の名前にふさわしい風格に甚だ欠けてゐたから。では東大はどうかといふと、これも役人になりたい奴だけ行けばいゝ学校なので、法学部なぞは頭の悪い人ほど、適格なのである。結局、「学歴」なぞはどうでもいゝといふ結論になつて、私のいふことはでたらめ論である。
塾長の英語の授業が評判の塾であつたが、実際はまつたくたいしたものではなかつた。初級者におしへるものだもの、そんなものだらう。a, b, c, …26文字を活字体でつゞつた後は、筆記体でつゞれといふものであつた。あとは、どういふ風に授業が進んだか、よく知らぬ。おぼえてゐるのは、spring, summer, fall, winterで、fallは別名なんといふ? といふ塾長の問ひに私が、autumnと正答しても、たいしてはげましてくれる風でもなかつたことである。酒ばかり飲んで、やる気がなかつたのであらう。英語は週に2講あつたが、塾長は1講だけで、他はやる気のない無能なアルバイトの30男に任せてゐた。
しかし、それにしても、いま思へばひどい授業である。私なら、私が『星の王子様』を使つて息子にしたやうに、確実にもつといゝ授業ができる。たゞ、生徒は選ぶが。私は学問に縁のないガキなぞには絶対おしへたくない。「知恵の果実」は高価なのである。とはいへ、私には、英語をまなぶ良いきつかけとしては、上の、a, b, c, で十分だつたのである。どんなに貧しい土地からも、芽は出るものといへる。私は英語の成績はずつと9割以上でスイスイ上昇していつた。
成績があがれば、クラスも上級に進級させるといふ約束だつたが、その約束はつひに果たされなかつた。私の成績がとびぬけてきても、私は最後まで中級のまゝに据ゑ置かれた。しかし、たいして悪意は感じなかつた。私もめんだうだつたから、そのまゝゐた。じつをいふと、数学の能力に自信が持てなかつたからかも知れない。





