病気の説明・各論5-14
クレプトマニア(15)
窃盗症「クレプトマニア」について(続き)
だから、窃盗症の人は、じぶんの行った犯罪について、なぜそうしたか、説明ができません(同旨、文献3, p.14, 63)。ほんとうの説明をしようとすればみじめなじぶんの現実、人生に直面することになります。それがいやさに堅固なまでに自分を防衛している。現実をマスクしている。だから説明できるはずがない。「この世の憂さをわすれられるから、きもちよくて」などともし正直に言えたとしたら、「ふざけるな」と怒鳴られます。なので、警察調書は、「ちょっとした出来心で」「お金を節約したくて」など警察官の誘導どおりの「世間にわかりやすい」作文となります。これは特徴的な臨床所見です。
また、吉田精次氏は窃盗症者に「万引した店や相手に対する加害者意識が極めて希薄である」といい(文献3 p.74)、これも私も同意する臨床的にたいへん特徴的な所見であるが、その理由について、吉田氏は現代の商品の「顔のみえない」流通システムなどに原因を求めているが、わたくしにいわせると、これは見当はずれな「社会学」的解釈と評する外はなく、これも同じ理による。忘却の快楽のなかでした行為に、ほんとうの謝罪意識がうまれるわけはないのです。或はじぶんのした犯罪に、他人事のような顔をしてまで(因みに、これはアルコール依存症患者にもよく観察される顔付です。じぶんの問題に直面することを回避している、わかりやすいサインです)、じぶんを守る必要があるだけです。
文献4で、吉永千恵子は、窃盗症者は「自分の問題に向き合い、行動の責任を取ることが大切で、「病気」を口実にした責任回避を許すことは治療的でない」と勇ましいことを言うが(p.927)、吉永じしんも認めているように(p.924, 925)、「自分の問題に向き合う」ことは健常者にあっても、決してかんたんなことではないことを忘れている点、それでもプロかと嗤わされる。
クレプトマニアについても、その罪を簡単に宥恕するわけではないが、本人の再犯防止のためには、クランケがじぶんのくるしみ、つらさと向き合えるよう、医師なりカウンセラー(このカウンセラーについては、ロジャース法流の「ウンウン、それで」の連中では論外。既述各論5-9クレプトマニア(10))なりが、「本当のことを遠慮なく言ってごらんなさい」と忍耐強く、クランケの話を聞く機会を定期的に設ける方がよほど生産的かと考えます。というのは、クレプトマニアになる人は、自己主張(ホンネを出すこと)が、はなはだ不得意だからなのです。だから「説教」(前述各論5-8クレプトマニア(9))は何のためにもなりません。本人の思いを更に内攻させて表面的な謝罪をさせるだけです。

